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日蓮正宗大石寺は誰のもの?
宗祖日蓮聖人の滅後、六弟子の中で血脈相乗を受けられた日興上人は七年間日蓮宗身延山久遠寺に住していた。初発心の弟子で地頭の波木井実長が謗法を犯したので身延を離山し、地頭南条時光の招きに応じて大石ヶ原に大石寺を創立した。日蓮聖人の住した身延を離山した経緯は日興上人の「五人所破抄」に詳しい。1290年日蓮宗総本山としての二祖日興上人の開基になる名刹である。
大石寺では、正統が二祖日興上人 、三祖日目上人、四世日道と続くとしている。そして法脈は大石寺以外には伝わっていないとして、富士門流諸派(大石寺管長が相承を認めない諸門)をすべて謗法としている。それは大間違いである。その事は、保田妙本寺(分離の原因は何なのであろうか?)に詳説した。
日蓮正宗大石寺に三祖日目上人が入滅されたあとから、血脈相乗は途絶え、法灯の流れは、保田妙本寺(富士興門派)の日郷上人と大石寺の日道上人に二分された。その時から日蓮仏法の正義の嫡嫡一流は失われた。日蓮門下にしてみれば路頭に迷うのみである。
沿革-日蓮正宗と改名
大石寺山門と富士 宗名の変遷は1872年~1874年日蓮宗、1874年~1876年日蓮宗勝劣派、1876年~1900年興門八本山が統合した日蓮宗興門派・日蓮本門宗に属した。日興門流・富士門流の統合教団としての日蓮宗興門派・日蓮本門宗では興門八本山より輪番制で管長が就任していた。しかし、大石寺は「大石寺こそ日興門流の嫡流」とする個義を主張したので他の7本山の受け入れるところとはならず独立することとなった。大石寺は日蓮宗興門派発足当初から大石寺とその末寺のみによる独立宗派の設立を指向していた。1900年になると大石寺は日蓮宗富士派として新宗派を発足させる。日蓮本門宗から独立した直後より宗名が検討され1912年に日蓮正宗という宗号が政府公認となり現在まで公称されるようになった。
歴代の住職
宗祖日蓮(にちれん)
開山2祖 日興(にっこう)
3祖 日目(にちもく)
4世 日道(にちどう)
5世 日行(にちぎょう)
6世 日時(にちじ)
7世 日阿(にちあ)
8世 日影(にちえい)
9世 日有(にちう)
10世 日乗(にちじょう)
11世 日底(にってい)
12世 日鎮(にっちん)
13世 日院(にちいん)
14世 日主(にっしゅ)
15世 日昌(にっしょう)
16世 日就(にちじゅ)
17世 日精(にっせい)
18世 日盈(にちえい)
19世 日舜(にっしゅん)
20世 日典(にってん)
21世 日忍(にちにん)
22世 日俊(にっしゅん)
23世 日啓(にっけい)
24世 日永(にちえい)
25世 日宥(にちゆう)
26世 日寛(にちかん)
27世 日養(にちよう)
28世 日詳(にっしょう)
29世 日東(にっとう)
30世 日忠(にっちゅう)
31世 日因(にちいん)
32世 日教(にっきょう)
33世 日元(にちげん)
34世 日真(にっしん)
35世 日穏(にちおん)
36世 日堅(にっけん)
37世 日琫[2](にっぽう)
38世 日泰(にったい)
39世 日純(にちじゅん)
40世 日任(にちにん)
41世 日文(にちもん)
42世 日厳(にちごん)
43世 日相(にっそう)
44世 日宣(にっせん)
45世 日礼(にちれい)
46世 日調(にっちょう)
47世 日珠(にっしゅ)
48世 日量(にちりょう)
49世 日荘(にっそう)
50世 日誠(にちじょう)
51世 日英(にちえい)
52世 日霑(にちでん)
53世 日盛(にちじょう)
54世 日胤(にちいん)
55世 日布(にっぷ)
56世 日応(にちおう)
57世 日正(にっしょう)
58世 日柱(にっちゅう)
59世 日亨(にちこう)
60世 日開(にちかい)
61世 日隆(にちりゅう)
62世 日恭(にっきょう)
63世 日満(にちまん)
64世 日昇(にっしょう)
65世 日淳(にちじゅん)
66世 日達(にったつ)
67世 日顕(にっけん)
68世 日如(にちにょ)当代
本門戒壇之大御本尊
「本門戒壇之大御本尊」と呼ぶのは後世の作為
大石寺では弘安2年(1279年)10月12日に造立されたと伝えられる宗祖日蓮所顕の本門戒壇之大御本尊(総本山大石寺奉安堂に安置されていた)を帰命依止の本尊と定める。本門戒壇之大御本尊こそ宗祖出世の本懐であり、宗祖所顕の曼荼羅の中でも究境の大曼荼羅として位置づけている。しかし、本門戒壇之大御本尊なるものは出自相伝が全く不明である。
日蓮大聖人年表に(日蓮大聖人御書大石寺版)
「弘安2年(1279年)10月12日 本門戒壇の大御本尊を造立す。」とある。しかし、宗祖日蓮聖人から日興上人へ賜ったという相伝書が全く残っていない。もしそんな重要な大御本尊が造立されていたとしたら、九世日有上人の代まで実在を裏づける文書が全く残っていないというのは甚だおかしい。
血脈相乗の義
三祖日目上人は宰相阿闍梨日郷と太夫阿闍梨日尊を伴い天奏のため京都へ向かう途中、美濃国の垂井で急死したため血脈相承の儀式ができず、唯授一人の血脈相承はそこで完全に途絶えている。大石寺の義では日道上人は内府であったとするが相承は為されていない。妙本寺の義では日郷上人が大石寺に帰り四代を継いだとしているが、これも相承がなかったので確定はできない。
教義の基本は、正しい本尊と定める本門戒壇之大御本尊を信じて自行化他わたって題目を修行すれば、どんな者でも必ず一生のうちに成仏できると説法する。
日蓮正宗における戒とは「三大秘法の受持」の意である。よって信徒個人レベルにおける戒律の実践は、「一切の謗法を捨てること(=日蓮正宗以外の本尊を拝まないこと)」、「勤行唱題および弘教活動(=広宣流布)を実践すること」で十分である、とされる。すなわち日蓮正宗においては、本尊こそが「三大秘法」の中心として考えられている訳である。本尊に三大秘法を帰すのは己義であり日蓮仏の本意に反している。三大秘法とは本門の本尊と本門の戒壇と本門の題目である。
「日蓮正宗以外の本尊を拝まないこと」となると他の富士門流諸派、日蓮宗などにある蓮祖直筆の本尊が拝んではいけない謗法本尊となる。そんな己義を立てるなら排他的な孤立教団である。
さらに日蓮正宗の独自の主張としては、
1.宗祖は、外用としては法華経に予証された末法の世を救う上行菩薩であり、その内証は久遠元初の自受用報身(御本仏)である。なお、宗祖を「末法の御本仏」とみなし、日蓮大聖人と尊称している。
本来日蓮宗祖は外用(体外)も内証(体内)も久遠元初の自受用報身如来であり御本仏である。未だ釈迦仏法華やかなりし鎌倉時代だったので、垂迹として外用は上行菩薩の再誕、内証は久遠元初の自受用報身(本仏)として顕われたのである。今は垂迹解釈する必要はない。
2.宗祖は、1253年(建長5年)の3月28日に立宗を内示され、4月28日に立宗を宣した。
3.第二祖日興は、1282年(弘安5年)の二箇相承にもとづき、宗祖から「唯授一人の血脈相承(ゆいじゅいちにんのけちみゃくそうじょう)」を受けたとされている。以後、第三祖日目、第四祖日道、第五祖日行と順次に伝えて現法主第68世日如に至っている。
法脈の流れ
現在、所依の経典としては、法華三部経・宗祖遺文(『日蓮大聖人御書』)・第2祖日興遺文・第9世日有遺文・第26世日寛遺文を正依とし、天台宗系統の摩詞止観10巻および弘決・法華玄義10巻および釈籤・法華文句10巻および疏記を傍依としている。
独一本門の日蓮仏法流布の機熟した現在、天台宗系統の摩詞止観10巻および弘決・法華玄義10巻および釈籤・法華文句10巻および疏記を傍依とする必要は全くない。市井の虎である。そのような時代錯誤の教学をしているから蓮祖聖人を外用は上行菩薩であり内証は久遠元初の自受用報身如来(御本仏)とするような情けない認識しかできないのである。そんな事ではとても今時の無辜の悪人の民衆を折伏する事はおぼつかない。
仏教の基礎である三宝は、以下のように説いている。「末法の三宝とは久遠元初自受用報身如来の再誕、本因妙の教主日蓮大聖人を仏宝、無作本有の南無妙法蓮華経の大曼荼羅を法宝とし、血脈付法の第二祖日興上人を随一とする歴代の法主上人が僧宝である」 宗祖こそが「本因妙の教主釈尊」であって、インドの釈迦(釈尊)は、法華経を説いて当時の衆生を救済するかたわら、末法における本仏(=宗祖)の出現を予証するために現れた仮の姿の「釈尊」(=迹仏)とされてされており、多宝塔や釈迦・多宝如来、等の仏像の制作・崇拝は一切禁止されている。
日蓮正宗の立てる三宝は理としては正しい。しかしその三宝の立て方は鎌倉時代の迹門破折に通用したものであって現代には通用しない。迹門隠没、無智謗法の現代社会においては、いくら正しい三宝の理を説いても糠に釘のように果無いのである。わが日蓮直宗の立てるのは事の三宝である。日蓮聖祖を仏宝・南無妙法蓮華経を法宝・仏道修行者が僧宝である。
僧侶が上で信徒は下
【日顕宗】悲惨な日蓮正宗の所化教育の実態!(Real Nichiren Shoshu)より引用
師弟に差を設けて訓導する外道教育宗門では昔から派閥が形成されていた。末寺で弟子をとるから派閥が生まれる。ならば本山で一括して弟子をとろう。昭和35年より年分得度制度が発足した。12歳の少年を対象に一括して得度者をとり、本山で集団教育する制度である。少年たちは大坊という宿舎に寝泊まりしての修行の日々が始まる。希望に燃えて本山に入った少年たちを待っていたのは、法主や先輩たちに対する絶対服従と暴力による制裁であった。大坊には想像をはるかに絶する虐めが横行していた。

所化たちは法主の前では伏せ拝で接しなければならない。それは何が有っても心服随従の姿勢である。午前2時半に行われる丑寅勤行、日顕は小僧たちの様子を観察している。耐えかねて居眠りをする小僧を見つけたとき、大奥へ引き上げる廊下で「だれが寝ていいと言ったんだ !」と扇子で小僧の頭を打ち据える。
日蓮正宗での僧侶の階級(僧階)wikipediaより引用
教師
大僧正(法主及び法主経験者)
権大僧正(学頭)
僧正
権僧正
(これより上が能化となる)
大僧都
権大僧都
僧都
権僧都
大講師
講師
少講師
訓導
権訓導
非教師
一等学衆
二等学衆
三等学衆
沙弥
それぞれの階位の授与等は内部規定による。
宗門役僧
管長 早瀬日如(総本山大石寺住職)大僧正
前管長 阿部日顕(前・総本山大石寺住職)大僧正
総監 八木日照(東京・法道院主管、法華講本部指導教師)権僧正
重役 藤本日潤(東京・常泉寺住職、元・総監)僧正
宗会議長 土居崎慈成(東京・妙光寺住職)
教学部長 水島公正(所沢・能安寺住職、法華講本部指導教師)
布教部長 阿部信彰(東京・常在寺住職、法華講本部指導教師)
庶務部長 斎藤栄順(東京・妙国寺住職)
海外部長 漆畑行雄(富士宮・本山妙蓮寺住職)
財務部長 長倉教明(札幌・日正寺住職)
渉外部長 秋元広学(東京・宣徳寺住職)
副教学部長 宮野審道(埼玉・啓信寺住職、(株)大日蓮出版代表者)
副庶務部長 田中導正(大石寺塔中蓮東坊住職)
副渉外部長 梅屋誠岳(藤沢・寿照寺住職)
僧侶は上座•信徒は下座として師弟不二の信心を破った
法華講(wikipediaより引用)
法華講は日蓮正宗唯一の信徒団体である。各末寺に檀家グループの○○講(講中)が存在し、この○○講の総称を法華講という。法華講は日常の唱題行や総本山への団参登山を行うものとして、宗史上古来より存在していたが、1962年にこれらの○○講の連合体として日蓮正宗法華講全国連合会(略称全連)が結成されて加盟するようになった。この全連は1967年に日蓮正宗法華講連合会(略称連合会)に改称され、現在に至っている。
日蓮正宗の信徒団体を作るには、末寺の住職が信徒団体の指導教師となって信徒団体を作ろうとする代表者と連名で「組織結成許可願」を宗務院に提出し、宗務院での審議を得て日蓮正宗の管長である法主が「組織結成許可書」に署名押印して「組織結成許可書」が交付されて指導教師から○○講に手渡される。これは明治時代からのシステムであるが、第2祖日興の「この法門は師弟子をたゞして仏になる法門にて候なり」(佐渡国法華講衆御返事)の伝統と慣習を踏襲したものであり、「組織結成許可書」に類する江戸期の古文書も残っている。こうして結成された○○講は、日蓮正宗法華講全国連合会に加盟申請書を提出し、総本山内の日蓮正宗法華講全国連合会事務所(通称法華講事務所)で加盟手続きが行われる。よって「組織結成許可願」と指導教師のない団体は日蓮正宗の正規の信徒団体とはいえないことになっている。
なお法華講では、日蓮正宗法華講連合会発行の大白法(だいびゃくほう)が唯一の機関紙となっている。毎月1日と16日に発行され、定価は100円である。
法華講の役員
各末寺の法華講の役員には講中の代表者の講頭、副講頭、幹事、会計がいるが、法華講の役員はすべて「組世話役」と定義され、他の寺院に所属する講員に対して指導することは指導教師(住職・主管)に対する越権行為に当たるのでしないことになっている。日蓮正宗法華講連合会には事務機構上、委員長、副委員長、理事、地方部長などの役職があるが、これも「組世話役」と定義され、「連合会」に加盟する各法華講を指導・監督することはない。また名誉職として総講頭、大講頭の称号があるが、信徒を指導することはない。大勢の信徒の前でスピーチをする場合には「挨拶」や「激励」の名目で行う。
海外の法華講
海外では50か国弱で法華講が存在し、寺院や布教所などが建立されている。特にインドネシアでは60万人(インドネシア政府による公称)の信徒がいるとされ、また台湾では5か寺が建立され信徒は増加傾向にある。
日蓮正宗の教義は、もはや天台仏法の教義に成り下がっている。天台仏法では信心の位に52位を設けている。理の一念三千の迹門が故に位を上り成仏を期す。日蓮仏法はさに非ず直信を以て直逹正観、等覚一転名字妙覚で成仏にいたる。位とすれば、覚を仏•迷うを凡夫としての二位しかない。而して其の二位も一仏の心中の覚迷であるから合して平等なのである。二にして不二という。
下種成仏の本迹(百六箇抄)
本因妙は本•自受用身は迹•成仏は難きに非ず此の経を持つこと難ければなり云々。
夫れ仏道に入る根本は信をもて本とす五十二位の中には十信を本とす十信の位には信心初めなりたといさとりなけれども信心あらん者は鈍根も正見の者なりたといさとりあるとも信心なき者は誹謗闡だいの者なり、(法華経題目抄)
三大秘法の御本尊を、鈍根でも疑わず信心ある者は仏となり•利根でも疑って信心なき者は誹謗闡だいの魔となる。およそ世間には仏と魔の生命しかない。
「この経の信心と申すは、少しも私なく経文の如くに人の言を用いず、法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ。(新池御書)」
とあるように、人師の指導を受けず、法華一部の経文を先ず信じて背く事がなければ成仏するのである。
「此の十法界は一人の心より出で八万四千の法門と成るなり、一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し、三世の諸仏の総勘文にして御判たしかに印たる正本の文書なり(三世諸仏総勘文教相廃立)」
一人の心からあらゆる法律が生まれ法門となる。これに準じて万人が平等なのである。これは過去・現在・未来の仏の総勘文である。
日蓮正宗では「僧侶は上、信徒は下」という差別を設けて師弟不二を破壊しているが、日蓮仏法の師弟不二とは『二にして不二』の相即の関係なのである。
正本堂と日顕法主 阿部日顕は日蓮正宗大石寺の67世の法主である。池田大作創価学会と細井日達日蓮正宗66世法主とが教義のくいちがいで対立していたとき学頭職にあった。日達逝去後学会寄りの日顕が宗門の法主となる。しかし宗門と学会のギクシャクした関係は修復できなかった。
池田大作が教義を逸脱したら訓諭して更生を期させるのが貫首としての役目であろう。だが池田大作の法華講総講頭を罷免したまでは権能の範囲であった。しかし創価学会末端の純信な信徒達を巻き添えにして、期限を切って宗門に帰さなかった者は破門処分とした。前代未聞の暴挙である。私は創価学会員であり法華講員でもあったが、そんな通達は来なかったので破門された事すら知らなかった。破門されていたと知ったのは何年も後の事である。
日顕は、全国の学会員・法華講員が必死の思いで真心の御供養をして集まった358億円で建立した正本堂を、まだ新しいまま解体してしまった。池田大作に対して【膀法の施は受けない】という意であろうが、池田大作は膀法でも全学会員が膀法だったわけではない。『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』の例えのように『池田憎けりゃ会員まで憎い』だったのだろうか。当時、私は2万4千円の安月給でラーメンをすすりながら風呂代まで節約して18万円貯めて真心の御供養をした。こんな貧乏人の身にもなってもらいたい。
日顕のような三毒(貪り・怒り・愚か)至盛の性癖が改革できていない法主などに蓮祖の血脈が相伝されている道理がない。
己義を構えあった結果、日蓮正宗と創価学会は平成3年に分裂した。仕事に追われ日蓮仏法に不勉強だった私はどちらが正しいのか分からなかった。素直に日蓮正宗創価学会の信徒として信仰していたが路頭に迷ってしまった。
この分裂によって夫は宗門・妻は学会、あるいは妻は宗門•夫は学会の信仰となって離婚の悲劇を味わった者は世界に数えきれないほどいるだろう。
私も池田創価学会となり池田名誉会長への信仰に執着する妻に平成13年離婚届を突きつけられた。それは私がパソコンから得た膨大な情報や御書(開目抄)を通して池田大作名誉会長は間違っていると気づき妻を折伏した事に由来する。学会妄信の妻は聞く耳を持たず逆上して「こんな物があるからだ」といって私の30万円したパソコンに水をかけて壊してしまい私の頭を後から瓶で殴った。狂気の沙汰である。まったく「話にならない」とは此の事である。私は子供の事が心配だったのですぐには離婚届に印をつかなかった。が、半年後に離婚した。
私は北区の創価学会組織(中堅幹部60人位)の会合で、池田大作指導の自語相違問題をとりあげの批判論を発表をした。居合わせたある地区部長は壇上の私を【何を言うのかこの野郎 !】とでもいうようなものすごい形相で睨みつけた。皆「学会はすごい池田先生はすごい」と異口同音に讃嘆する雰囲気の中での批判だったので、座は白け、後で松野副区長と対話することになった。松野副区長と1時間半くらい対話したが何ら要を得なかった。
後日、沼野区長と1時間くらい対話したが、やはり要を得なかった。その時、沼野区長が「池田先生の指導を受けなければ成仏できない」と言った。今でも忘れられない。
私は「日蓮仏法は本因妙であり直逹正観で成仏できる」と答えた。
沼野区長は「私にはわからないから学会本部へ行って聞きなさい」といった。
私は、田端本部の学会組織から村八分状態となり懇意だった人に挨拶してもそっぽを向かれた。「学会を批判する者はみんな敵」として対話も拒否して組織ぐるみの村八分。恐ろしいカルト性である。私は此のとき創価学会の狂信性を確信した。
後日、創価学会本部へ指導を受けに行った。宮本(ただのり)副会長と1時間くらい対話したが要を得なかった。私が「人間革命(池田大作著)には宗門の代々の猊下の血脈相乗が法灯連綿となされて来たように描かれているが嘘ではないか」というと、宮本副会長は「それは、その時の状況によって書かれた」といった。ご都合主義である。
私が、開目抄の「今世多く悪魔の比丘有って戒を退き家に還り駈策を懼畏して更に道士に越済す、復た名利をもとめて荘老を誇談し仏法の義を以て偸んで邪典に安き高きを押して下に就け尊を摧いて卑に入れ概して平等ならしむ」という一説を引き、「この悪魔の修行僧とは池田大作の振舞そのものではないか?」というと、宮本副会長は、私の御書を手にとって、反論となる文証を10分位探していたが結局見つからなかった。
そして、こういった「そんなに学会がいやならやめればいい」と。
そこで私は大声で一喝した「やめればいいとは何事ですか。ふざけるんじゃないですよ。命がけで長年信心して来たのです。簡単に辞められますか」と。すると宮本副会長は恐縮し、私が忘れた雨傘を追いかけて来て渡してくれた。
私は池田創価学会の邪悪を確信し今度は日蓮正宗の寺院(池袋の法道院•常在寺)へ問答に行った。
法道院では早瀬住職の昔(昭和40年頃)は3人組での法戦であったが、平成13年になったら創価学会組織をそっくりまねて団体折伏をやっていた。壮年部長•婦人部長などと平等であるべき信者間に差別階級をつけて指導するのは日蓮仏教の布教活動を逸脱したものである。学会の物まねであり覇権思想で教勢を拡大しようという魂胆であろう。日蓮仏法は個人随意の布教活動が正しい。
私が「日道日郷の争いはどちらが正しいのか」と聞くと、
僧侶は「日道上人が正しい、日郷は蓮蔵坊の一帶を譲られたと主張し、大石寺を追われた」と答えた。
その辺のいきさつは判らなかったが宗門も正しくないといって日顕法主の行動を批判した。
そこで今度は保田妙本寺へ問答に行った。日蓮正宗創価学会の寺院だった保田妙本寺(鎌倉日櫻住職)は1993(平成5)年、宗門を離脱してすでに独立していた。私は日櫻師と問答した。日櫻師は宗学の争い事にはあきれかえっており、また宗門離脱の訳をこう語った「本寺(大石寺)だけで弟子を育成し末寺(妙本寺等)では弟子を育成できないというのはおかしい」と。日櫻師は、日蓮正宗時代においては法主(大僧正)に次ぐ地位である能化7名の1番目に位置して僧階は権僧正であった。その日櫻師は日蓮正宗の中央集権主義を批判していた。
また、私の開目抄の一説を引いての池田大作の振舞は悪魔の修行僧に当たるという見解に対しては、
日櫻師は「その通りだと思う。正木さんは偉い」と誉めてくれた。凡夫に誉められたのならうれしくなかったが、妙本寺が正統なら日櫻師は猊下である。本当にうれしかった。創価学会と日蓮正宗の非が露になったので、同意してその場で私は日櫻師の直弟子となった。
日蓮正宗大石寺にある一閻浮提(全世界)総与の大御本尊(本門戒壇之大御本尊)は本当に蓮祖直筆の大御本尊であろうか。
確かに、日蓮大聖人年表(日蓮大聖人御書大石寺版)には、「弘安2年(1279年)10月12日 本門戒壇の大御本尊を造立す」と記されている。しかし、平成6年に発行された年表は、いくらでも書き加えられる。
この弘安2年10月12日に造立されたとされる本門戒壇の大御本尊なるものは、日興上人へ相伝されたという文書がまったく無い。そんな大事な大御本尊があったなら必ず何らかの記録が残っているはずである。それが九世日有上人の時代になるまで全くないのである。日有上人の時代まで下ってから、にわかに本門戒壇之大御本尊とかいう名称が突然現れたのである。付属や相伝がないのに、やっきになって本門戒壇之大御本尊と決めつけるのはおかしい。
それに対して、文永11年12月に顕された万年久護本尊(大御本尊)は、弘安2年11月に日興に与えられた記録が残っている。しかも蓮祖一期造立の全曼荼羅のなかで大御本尊と明記されているものは、この久護本尊のみである。
日蓮大聖人年表(日蓮大聖人御書大石寺版)には、
「弘安2年(1279年)日興に文永11年12月の本尊(万年救護本尊)を賜う。(聖613)」とある。
日興跡条々事 元弘2年(1332年)11月10日
「日興が身に宛て給わる所の弘安2年(1279年)の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし」とある。
上記の記述を照らし合わせてみると日興上人が日目上人に相伝して本門寺にかけ奉るべしといった大御本尊というのは、日興上人が弘安2年(1332年)に日蓮大聖人から賜って身に宛てていた文永11年12月に顕わされた万年久護(救護)の大御本尊の事と推察できる。
道理から考えても日蓮仏法は広く浅くの全世界広布よりも、一人の心の中に万年にわたって久護される本尊の方が適当であろう。
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保田妙本寺







