創価学会 of 日蓮仏法

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本門の題目の出所  

創価学会は誰のもの?

出発時点は日蓮正宗だったのに

 何事も出発点が大事である。牧口常三郎初代会長時代は日蓮正宗の檀家集団としての創価教育学会であった。戸田城聖二代会長時代になると日蓮正宗の檀家集団としての創価学会と称した。平成三年以後、池田大作名誉会長は独立宗教法人創価学会とした。日蓮正宗と無縁となった今でも日蓮仏法を奉じている。日蓮仏法を奉じるかぎりは国民のものである。なぜなら、日蓮仏法は国民全員を救うためのものである。決して創価学会員のためのものではない。なのに創価学会員は日蓮仏法を創価学会のものとしている。創価学会に反対するものは邪悪人で「地獄に堕ちる」と一方的に決めつけている。創価学会が日蓮仏法から外れているのにである。これから、創価学会がどのように日蓮仏法に背いているかを検証する。
 日蓮仏法に反している点を列挙して見よう。

  1. 創価学会員が日蓮仏法を奉ずるなら日蓮聖人(法師)を主師親としなければならないのに、池田大作(人師)を主師親としている。創価学会員は義(御書正理)に依らなければならないのに池田大作の語(スピーチ)に依っている。創価学会員は知(御書の知恵)に依らなければならないのに池田大作の識(見識)に依っている。これらは「法に依って人に依らざれ。義に依って語に依らざれ。知に依って識に依らざれ。(法華初心成仏抄)」という日蓮聖人の意に反している。
  2. 創価学会員は御書(本門)を熟読するよりも御書に擬した池田大作著「人間革命」(迹門)を熟読し、本迹一致の修行をしている。これは「1、偽書を造って御書と号し本迹一致の修行を致す者は獅子身中の虫と心得可き事。」という日興遺誡置文の一文に該当するので「此の内一箇条に於いても犯す者は日興が末流に有る可からず」となる。
  3. 池田大作の立義は一々先師の御弘通に違する事。池田自身は謗法を呵責せずして遊戯雑談の化儀(キンマンコ発言等)ならびに外典•外書を好んで読みゲーテ、ホイットマンなどに造詣が深く民音を創って歌道を奨励する。これは「1、謗法を呵責せずして遊戯雑談の化儀並びに外書歌道を好む可からざる事。」という日興遺誡置文の一文に該当するので「此の内一箇条に於いても犯す者は日興が末流に有る可からず」となる。
  4. 池田大作は日蓮聖人の義(御書)に依らず外聞(自余)を交えての話し合い(議論)や講義して説明する(講義)ことを好んでいる。これは「1、議論講説等を好み自余を交ゆ可からざる事。」という日興遺誡置文の一文に該当するので「此の内一箇条に於いても犯す者は日興が末流に有る可からず」となる。
  5. 池田大作は先師日蓮聖人の死身弘法の御弘通に違して自身の名聞名利に堕している。これは「1、未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事。」という日興遺誡置文の一文に該当するので「此の内一箇条に於いても犯す者は日興が末流に有る可からず」となる。
  6. 池田大作並びに創価学会員は信心のご利益を現世利益と名聞名利に求め、邪宗邪義を身命を捨てて説き伏せる随力弘通をしていない。これは「1、未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事。」という日興遺誡置文の一文に該当するので「此の内一箇条に於いても犯す者は日興が末流に有る可からず」となる。
  7. 池田大作並びに創価学会幹部は役職の上の者が下の者を指導するという組織を創っている。これは「1、身軽法重の行者に於いては下劣の法師たりといえども当如敬仏の道理に任せて信敬を致す可き事。」•「1、弘通の法師に於いては下輩為りといえども老僧の思いを為す可き事」•「1、下劣の者為りといえども我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事。」•「1、若輩為りといえども高位の檀那自り末座に居る可からざる事。」•「1、巧於難問答の行者に於いては先師の如く賞玩す可き事。」という日興遺誡置文の五文に該当するので「此の内一箇条に於いても犯す者は日興が末流に有る可からず」となる。
  8. ほとんど総ての創価学会員において「創価学会が正義であり他の一切が邪義謗法である」とする日蓮仏法に相違する衆議を構えている。それを池田大作(貫主)は無視して裁かない。これは「1、衆議為りといえども仏法に相違有らば貫主之を摧く可き事。」という日興遺誡置文の一文に該当するので「此の内一箇条に於いても犯す者は日興が末流に有る可からず」となる。

 私義「1、時の貫主為りといえども仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。」という日興遺誡置文の一文に依って、池田大作創価学会名誉会長(貫主)の日蓮仏法に相違する己義を構えたるを看過できず、ここに非をあげて裁く者である。

創価教育学会  

牧口常三郎

「美•利•善」の価値観

スクリーンショット(2011-01-18 14.06.21).png牧口常三郎 1928年、牧口常三郎は三谷素啓から折伏を受け日蓮正宗に入信する。牧口は戸田城聖を折伏した。1930年(昭和5年)、牧口は戸田と共に創価学会の前身である「創価教育学会」を設立した。
 彼は学者らしく人生の目的は価値創造にあるとして、カントの「真•善•美」の価値論に対して「美•利•善」の価値論を説いた。「真理・真実は認識の対象でしかなく価値の当体ではない・主体と客体の中にこそ価値は存在する」としてカントの説く「真」の価値に代わるものとして「利」の価値を置いた。しかし、真を利に置き換えるのは無謀である。
 牧口の説いた「美•利•善」の価値論は、その後、戸田の創価学会に引きつがれ、利の価値のあくなき追求という創価学会の体質となった。

牧口常三郎の布教

スクリーンショット(2011-01-18 7.21.11).png大石寺山門 昭和5年から18年までの日蓮正宗創価教育学会の活動は正しかった。市井の民家の中に日蓮仏法の灯を点し貧乏病気に苦しむ民衆を救った折伏行為は賞賛に値する。
 「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起こる(種種御振舞御書)」とあるように、法華経を広めた為に法難があった。すなわち、1943年5月、神社神道を批判したことで機関誌『新教』が廃刊となる。また、伊豆での座談会開催直後の1943年7月6日、政府による日蓮宗と日蓮正宗との合同強制の拒否と伊勢神宮の神札を祭ることを拒否したために、治安維持法違反並びに不敬罪の容疑で戸田ほか21名の幹部と共に逮捕され、下田警察署に連行される。
 牧口は獄中においても転向を拒否し、1944年11月18日、東京拘置所内の病監で栄養失調と老衰のため死去した。


創価学会  

戸田城聖

覇権思想を取り込んで神聖な折伏活動を破壊

スクリーンショット(2011-01-18 7.47.35).png講義する戸田城聖 1930年(昭和5年)、戸田は牧口と共に創価学会の前身である「創価教育学会」を設立した。牧口の「美・利・善」の価値論の影響を強く受けた戸田は教職を辞して数々の利潤追求の事業を手がけた。その利の価値のあくなき追求が、後の創価学会の体質となった。
 しかし、 昭和5年から18年までの創価教育学会の活動は正しかった。市井の民家の中に日蓮仏法の灯を点し貧乏病気に苦しむ民衆を救った折伏行為は賞賛に値する。
 1943年(昭和18年)6月、治安維持法ならびに不敬罪によって投獄されていた戸田は、牧口が病獄死したあと出所して創価教育学会を創価学会と改め牧口の価値論に対して生命論を唱え現世功徳論を展開した。この日蓮仏法を利用した現世功徳論は大間違いである。
 戸田は戦前の事業がすべて無に帰したので新しい事業を手がけた。しかし、昭和22年10月経営する出版社の日本正学館が倒産、昭和25年8月22日には東京建設信用組合が大蔵省から営業停止を命じられる有様でしあった。創価学会の組織も疲弊していた。相次ぐ事業の失敗と組織の伸び悩み、それらは日蓮仏法必然の三障四魔だったのである。「経文のとおり正しい信仰をしているのだ」と喜び勇んで乞食になってでも信心を貫けばよかったのである。理仏は事仏になれなかった。惜しい。

此の法門申すには必ず魔出来すべし、魔競わずば正法と知るべからず、第五の巻きに云わく「行解すでに勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る、乃至随う可からず畏る可からず。之に随えば将に人をして悪道に向かわしむ、之を畏れば正法を修する事を妨ぐ」等云々。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習い伝えて未来の資料とせよ。(兄弟抄)

 兄弟抄に言う「日蓮仏法を実践すると必ず魔が来る。魔が来なかったら正法ではない」「正しい信仰をすれば三障四魔が紛らわしく入り乱れて競い起こる。これに従ってはならない。これを畏れてはならない。これに随えば悪道に行く、これを畏れれば正法を修行できない。」(意訳)
 戸田は、なりふり構わず高利貸しの金融会社•大蔵商事を設立した。昭和25年10月の事である。一般の金融会社ではない。主に創価学会員に金を貸して高利で回収するという信心利用の悪徳事業だ。まさに経文のとおり悪道に向かってしまった。戸田はこの事業で大儲けをしたのである。その高利貸しの取り立てをしていたのが池田大作であった。この二人は、二人三脚で得た巨額の資金を創価学会組織づくりと日蓮正宗の懐柔へとつぎ込んで行った。
スクリーンショット(2011-01-18 11.54.32).png分裂の火種 日興遺誡置文には「論議講説等を好み自余を交ゆべからざる事」とあるが、戸田の信仰は学者(声聞)のそれであって天台流の論議講説を好み日興上人の意思に背いたものであった。戸田は死身弘法の如説修行の行者には成れなかった。正義を貫いて難を受けるよりも名聞名利に著して還俗したのである。
 戸田と池田は、日蓮を日蓮大聖人とほめ殺して、己を聖人のように見せかけ信者を懐柔し名聞名利の野望に燃えた。信心利用で得た大金で多くの会館を建てた。牧口記念会館、戸田講堂、全国に数多くの池田文化会館等等。日蓮会館は一つもない。
 その布教の方法は中国の古事である三国志や水滸伝に倣った覇権思想である。平等であるべき信心の世界に差別を設け、参謀・本部長・部隊長・隊長・班長・組長等等の役職を創った。あたかも軍隊組織である。
 日蓮聖人は封建時代の鎌倉で、草庵(わらぶき屋根の小さな家)に住み、たった一人で時の権力者であった執政北条一族、平佐衛門尉(軍事長官)、良寛(律宗)をはじめとする邪宗の僧侶たち、また邪教に染まった6百万人(鎌倉時代の推定人口)の全民衆に向かっての大折伏戦を展開した。
「和党ども二陣三陣と続き給え」との孤軍奮闘であった。組織でなく一人で闘う、これが正しい。大折伏戦の結果、日蓮の身には三障四魔が憤然と競い起ったが、喜んでこれを宿命転換の機会ととらえ正義をつらぬいた。【小松原の法難】【伊豆の流罪】【竜の口の法難】【佐渡の流罪】等々の命に及ぶ大難。その相次ぐ大難にも身軽法重の法華経の行者としてとおり一生成仏されたのである。


池田創価学会  

池田大作

若き日は扇動者、老いては名聞名利の金満家

スクリーンショット(2011-01-18 12.14.43).png池田大作 昭和22年、小平芳平の折伏を受け8月24日創価学会に入信。入信したことで家からは勘当状態となる。昭和24年1月3日 「日本正学館」に入社。少年雑誌『冒険少年』(同年8月に『少年日本』と改題)の編集に携わる。結核の病と闘って日蓮仏法でのりきり、生活と苦闘した池田の信心はこの頃までは正しかった。その後、戸田の信心が三障四魔を畏れこれに従うと池田も追従した。同年10月、戸田の「東京建設信用組合」に入社。昭和25年10月 大蔵商事(現日章)に移動。大蔵商事は主に創価学会員に金を貸して高利で回収するという信心利用の悪徳事業だった。池田は高利貸しの取り立て役をして戸田とこの事業で大儲けをしたのである。この二人は、二人三脚で得た巨額の資金を創価学会組織づくりと日蓮正宗の懐柔へつぎ込んで行った。
 昭和32年7月4日 参院大阪選挙区の補欠選挙で創価学会員に戸別訪問を指示したとして公職選挙法違反の疑いで逮捕される。大阪東警察署と大阪拘置所に勾留。後に検察官より禁固10ヶ月の求刑を受ける。これは日蓮仏法の受難という一面はあるが、池田の自白(後で否定)の示すように創価学会員に戸別訪問を指示したという行き過ぎた選挙違反も同居する。
スクリーンショット(2011-01-18 12.14.02).png創価文化会館
 何しろ戦後の貧困時代に、戸田が考えだした現世功徳論(己義)が功を奏して、たちまち会員数は75万にふくれ上がって行った。体の弱った晩年の戸田を大白牛車に見立てた籠に担いで総本山を行くとき、見上げた池田の卑屈な笑顔を今でも忘れることができない。戸田に心酔し虎の威を借りた池田の全権掌握は進んで昭和33年に戸田が死去すると昭和35年5月に三代会長に就任した。同年6月、池田会長就任に反対した幹部が顕徳会(200名)を立ち上げ石田次男を会長に推したが1年で解散となる。
 池田は戸田が敷いたレールの上を走って組織を統一し、一時は800万世帯の巨大なものとした。その功績は何だったのだろうか。これも、大石寺の「一閻浮提総与大御本尊(偽物)」の功徳とでも言うのだろうか。はたまた「信心すれば金が儲かる」という拝金亡者たちのシャボン玉なのだろうか。現在はパチンと弾けてしまった。しかし善知識として歴史に刻印されることだけは間違いない。

日蓮御書に違背

 平成12年、開目抄を再再読していた私は、池田大作が学会版御書の189Pに記された摧尊入卑の還俗した悪魔の比丘と二而不二であると悟った。そして彼の著作小説人間革命の指導には理事において大きな矛盾があると悟った。それは、随所で「本因妙の闘いをしろ」(理)と指導しておきながら、海外指導から帰国した伸一が、本因妙で闘っていた原島理事長を叱る(事)場面であった。仏の闘いをしろ(本因妙)と言っておきながら、所化の闘いをしろ(本果妙)と叱っているのである。その矛盾を私は、創価学会田端本部の「小説人間革命感想発表会」で力説した。すると居並ぶ地区部長等幹部から睨まれて会は騒然となった。会後、北区松野副区長と問答したが解決しなかった、後日、沼野区長と問答したが解決しなかった。後日、創価学会本部に行き宮本(ただのり)副会長と問答したが解決しなかった。その時私は、創価学会の非を責めた。すると副会長は「そんなに学会が嫌だったら辞めればいい」といった。私は彼を叱りつけた「辞めればいいとは何事ですか、命がけで長年信心して来たのです。簡単に辞められますか。」と。 

開目抄上189P

止観の第五に云わく「今世多く悪魔の比丘有って戒を退き家に還り駈策を懼畏して更に道士に越済す、復た名利をもとめて荘老を誇談し仏法の義を以て偸んで邪典に安き高きを押して下に就け尊を摧いて卑に入れ概して平等ならしむ」云々

意訳: 天台大師の理の一念三千摩訶止観の第5にいわく「今世紀に多くの悪魔の信者がいて仏法の戒律を保つのを止めて俗人となって家に帰り謀をめぐらし恐れ多くも仏道を修めた人を超えてしまったり、また名聞名利をもとめて外道の荘子•老子(今ではゲーテ、ホイットマン等)のような外典の教えを誇らしく談じたり語ったりして、仏法の正義をもって盗んで邪教の教典に置き、高い仏教を低い外道教に付けて、尊い仏教を砕いて卑しい外道に入れ、おおむね平等にしてしまう。

 何と池田大作の所作とそっくりではありませんか。私もかつて男子部時代よく本部幹部会に出席しました。そこで、池田が壇上で「ゲーテは仏教と同じ」といったり、ヘレン•ケラーの話をしたり、ホイットマンの詩を讃嘆しているのを耳にタコができるほど聞きました。荘子も老子も外道者ですし、ゲーテ、ヘレン•ケラー、ホイットマンも外道者です。それらの外道と仏教が同等な事は絶対にありません。仏教は高くて尊い教えですし、外道は低くて卑し教えです。

日蓮仏法を盗んで外道に売り渡して賞賛を得る

 高い日蓮仏教をを砕いて下劣な外道教育につけて海外31もの大学•学術機関で講演を行う。また、国家勲章、大学からの名誉学位、国連や学術機関からの表彰など、多くの顕彰を受けており、授賞のたびに、創価学会の機関紙『聖教新聞』の一面を飾る。2010年11月22日時点において、受賞した名誉称号は名誉博士107 名誉教授101 名誉学長3となっている。
 海外では、モスクワ大学、グラスゴー大学、ボローニャ大学、フランス学士院、ナイロビ大学等より「名誉博士号」「名誉教授称号」を授与されている。今では、池田が高齢のため学長や一行がかけつけ、特例として日本で現地の形式に則った、授賞式が行われるようになった。(出典ウィキペディア)
詳しくは、池田大作by Wikipedia

「例せば外典•外道等は仏前の外道は執見あさし仏後の外道は仏教を聞き見て自宗の非を知り巧みの心•出現して仏教を盗み取り自宗に入れて邪見もっとも深し」と御書にある。

 池田は自分の名聞名利と引き換えに外道の邪教者たちに崇高な仏教の知恵を盗み取られているのである。その結果、卑しい邪教外道がますます知恵をつけて繁盛し日蓮仏教の衰退になりかねない。


信心利用の御書講義  

 創価学会の御書講義は常に信心利用の講義でありました。
 私は入信以来39年間つねに一兵卒の信心で広宣流布に邁進してきました。役職はきらいだったなですが地区部長の役職までは受けました。ですから御書講義も担当しました。いつも疑問に思っていた事ですが常に機関誌「大白蓮華」に掲載された御書しか講義できなかった事です。譬えば会場に悪性腫瘍や感染症の病人が集って来ていたなら、それらの病気が法華経の信心で治ると書かれている蓮祖聖人の御書の一節を講義したかったのですがそんな事は出来ませんでした。
 毎月の「大白蓮華」には本部で決められた御書の一節が掲載されているのです。それが常に学会に利益をもたらす内容になっていたのです。たとえば、毎年12月になると恒例の財務(任意で本部に寄付)がありましたがその時の御書講義は以下のとおりです。

松野殿御返事

とても此の身はいたずらに山野の土となるべし・惜しみても何かせん惜しむとも惜しみとぐべからず・人久しといえども百年には過ぎず・其の間の事は但一睡の夢ぞかし、受けがたき人身を得てたまたま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責めずしていたずらに遊戯雑談のみして明かし暮らさん者は法師の皮を着たる畜生なり.....(割愛).....本迹両門・涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべしと見えたり(趣意)

 以上のような御書講義によって赤貧洗うが如しの貧乏人も・多額の借金をかかえた身でありながら無理して百万円もの大金を御供養の気持ちになって学会本部に寄付してしまうのであります。
 学会本部に集まった何千億円もの大金が、それでも広宣流布の折伏に使われているのならまだ救われます。しかしそれらは池田名誉会長の名聞名利に利用されているのだから救われません。
 末端の純真な学会員は手弁当で広宣流布のため悪口され罵られても身命を捨てて邪宗折伏にがんばっているのに、大幹部は鵜飼(うかい)の鵜のように会員を操って集金し学会本部に財を集めてしまう。それでも学会員は池田先生の指導で成仏できると信じて騙されている現状です。
この三位房は下劣のものなれども小分も法華経の法門を申す者なれば仏のごとく敬いて法門を御尋ねあるべし、依法不依人これを思うべし、(十四誹謗抄)

  言論出版妨害事件

 1969年(昭和44年)、明治大学教授で政治評論家の藤原弘達が創価学会・公明党を批判した著書『創価学会を斬る』を出版することを計画した。出版予告が出ると間もなく、藤原や出版元の「日新報道」に対して創価学会員による電話や手紙での抗議が殺到した。直後に予定されていた衆議院選挙への悪影響を考えた公明党幹部藤原行正や「聖教新聞社」主幹秋谷栄之助が、藤原や「日新報道」に本来あるべき取材がないことを抗議し、資料の提供を提案し、書き直しや出版の中止などを要求したが、拒否されたため、公明党委員長竹入義勝 が 自民党幹事長田中角栄に事態の収拾を依頼。そこで田中は藤原弘達に出版の中止や書き直しを求めた他、「初版分は全部買い取る」などの条件までつけて働きかけたが、藤原の出版の決意を変えることはできなかった。出版を阻止するための創価学会の組織的と見られる行為があったこと、公明党の幹部らが働きかけたこと、藤原以外にも、批判本を書いたために、出版に対する妨害を受けたとする著者が多数いたことなど、問題の詳細が明らかにされた。
 その後、「言論出版妨害事件」のことが公になり、「言論の自由」を侵すものだとして社会的な批判を受けた。この問題の中で、創価学会と公明党との密接な関係が憲法に規定された「政教分離原則」に反するという批判も強くなり国会でも議論されるようになった。国会での追及が高まる中、池田大作が公明党と創価学会を制度的に明確に分離することを明言し、「日蓮正宗の国教化」と誤解されやすい「国立戒壇」という表現は将来ともに使わないことと、「国立戒壇」を国会で議決することを目標にしないことなどを約束し、党の綱領から「王仏冥合」と「仏法民主主義」などの用語を削除するなど、宗教色を控える方針転換を図った。第8回公明党大会でも、党綱領から「王仏冥合」と「仏法民主主義」などの仏教用語を削除することを決定した。
 自ら招いた行き過ぎた言論出版妨害と、公然と行なわれていた創価学会会館における公明党支援講演などの「政教分離原則」に反する政治活動の誤りを反省して正せば良いことであった。それをあたかも日蓮聖人の説かれた立正安国論に誤りがあるがごとく、正しい「王仏冥合」と「仏法民主主義」の理念を引っ込めてしまったのは、はなはだもって情けないというか、ご都合主義というか、人後に落ちる話である。
 創価学会が徒党を組んで個人に圧力をかけたり、公明党の政治力で創価学会を庇護したり教勢を伸ばそうとさえしなかったら、日蓮仏法の布教の目標である「国立戒壇」•「王仏冥合」•「仏法民主主義」の文言を削除する必要はなかったのである。
「国立戒壇」•「王仏冥合」•「仏法民主主義」の金言を削除したことによって、創価学会は日蓮仏法に縁もゆかりもない邪宗教と成り果てたのである。
 信教の自由がある限り、一人で日蓮仏法の指標である「国立戒壇」•「王仏冥合」•「仏法民主主義」をかかげて布教することは何ら問題にはならない。




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はじめに

このホームページは、毎日少しずつ書き加え、また誤謬を訂正して行きますので、いつまでも未完成であり、いつなんどき編集で変更を加えるかも知れません。それは筆者の未熟の致す所でお許し願いたいと存じます。