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保田妙本寺は誰のもの?
日蓮正宗大石寺に三祖日目上人が入滅されたあとから、血脈相乗は途絶え、法灯の流れは、保田妙本寺(富士興門派)の日郷上人と大石寺の日道上人に二分された。その時から日蓮仏法の正義の嫡嫡一流は失われた。日蓮門下にしてみれば路頭に迷うのみである。
分離の原因は何なのであろうか?
平成23年10月、法道院の日照住職(日蓮正宗総監)と対談したとき、私は分離につき「大檀那であった南条時光の子息の土地相続問題が絡んでいるのではないだろうか」と話した。
当時、東坊地(日目上人の在住した蓮蔵坊がある)は、南条時光の五男である五郎左衛門時綱が地頭であり日郷師に寄進されている。時綱は東坊地の日郷師への寄進にこだわった。そのこだわりを子息へ伝えている。一方、西坊地(大坊のある)は南条時光の三男である三郎左衛門より日道師に寄進されている。この地をめぐる争いは以後72年間に及ぶ事になる。
私が分離の理由を聞いたとき、日照師は「教義上の係争は何もなかった」と答えた。分離の理由は教義上の問題ではない。血脈相乗を持たない日郷師(郷師)と日道師(道師)の二頭指導が困難だったことは想像に難くない。そして、南条時光の血を引く道師を中心とする僧侶団の圧力が強まり、郷師は居ずらくなって万年久護本尊・聖教・御影などの宝物を持って安房の国へ顕徳寺(現保田妙本寺)を創立したという事が考えられる。いずれにしても、郷師が、一宗の興亡を結するような宝物を持ち出せたのが不思議だ。「郷師が四代を継いだ証拠文献が京都で見つかった」と修郷師(日誠上人)から聞いた事がある。それが本当なら日誠師は提示する義務があろう。郷師は生涯をとおして富士興門派としてとおり日蓮正宗大石寺と同義を貫かれたのである。
教義上に問題がなかった事は明らかである。となれば考えられるのは土地相続の問題である。南条五郎左衛門時綱は遺誡にも郷師への東坊地寄進を子息に伝えている。これは西坊地の南条三郎左衛門(兄)に対して東坊地は子孫に残したいとの気持ちだったのだろう。東坊地をめぐる争いは郷師が遷化した後で激しくなった。戦国武将の今川氏に安堵を依頼した妙本寺の文書も残っている。
郷師の健在中は土地争いは無かった。郷師は顕徳寺(保田妙本寺)のほか東坊地と重須談所(北山本門寺)をも管理していた。大石寺が郷師亡きあと東坊地の所有権を主張したものと思われれる。
開基は日郷上人
開基にいたるまでの経緯
日蓮正宗富士大石寺の三祖日目上人は、太夫阿闍梨日尊及び宰相阿闍梨日郷等を伴い天奏(最高権力者であった天皇に申し上げる)のため京都へ向かう途中、美濃国垂井で入滅(急死)され荼毘に付された〔74歳〕。日郷は遺骨を奉じて大石寺に帰り下之坊に納めている。
血脈相承の義
三祖日目上人が急死したため相承の儀式が行われず以後は唯授一人の血脈相承は途絶えている。故に後代、大石寺四世を日道上人のとするのは誤りである。大石寺は内府であったとするが相承の義には何等関係はない。妙本寺の義では日郷上人が大石寺に帰り四代を継いだとしているが、これも相承がなかったので確定はできない。わたしは修郷師(日誠上人)から日郷上人が二十数年間大石寺の法主だったことを裏付ける文書が京都で見つかったと聞いているが尚風聞のかぎりである。
大石寺と妙本寺の離反
わたしは妙本寺より日郷上人は南条時光の血を引く日道上人を中心とする僧侶団と和合できなかったため万年久護本尊・聖教・御影などの重宝を持って大石寺を去り安房の国に顕徳寺(現保田妙本寺)を創立したと聞いた。開基は1334年(建武元年)4月4日の事である。
衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云い穢土と云うも土に二つの隔てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し。迷う時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し。(一生成仏抄)
代々の住職
日蓮(高祖)ー日興(二祖)ー日目(三祖)ー 日郷(寺祖)ー日伝ー日周ー日祐ー日永ー日安ー日信ー日要ー日清ー日継ー日我ー日侃ー日珍ー日東ー日前ー日応ー日有ー日重ー日逹ー日体ー日賢ー日壽ー日淳ー日甫ー日幽ー日潤ー日演ー日正ー日暁ー日承ー日眷ー日曜ー日樹ー日勤ー日英ー日勤ー日霊ー日暎ー日開ー日純ー日典ー日住ー日運ー日遠ー日顯ー日邦ー日照ー日櫻ー日誠(当代)
本門寺の大御本尊とは
日蓮大聖人年表(日蓮大聖人御書大石寺版)
弘安2年(1279年)日興に文永11年12月の本尊(万年救護本尊)を賜う。(聖613)
日興跡条々事 元弘2年(1332年)11月10日
1、日興が身に宛て給わる所の弘安2年(1279年)の大御本尊は、日目に之を相伝す。本門寺に懸け奉るべし。
上記の記述を照らし合わせてみると日興上人が日目上人に相伝して本門寺にかけ奉るべしといった大御本尊というのは、日興上人が弘安2年(1332年)に日蓮大聖人から賜って身に宛てていた文永11年12月に顕わされた万年久護(救護)の大御本尊の事と拝す。
日蓮大聖人年表(日蓮大聖人御書大石寺版による)
弘安2年(1279年)10月12日 本門戒壇の大御本尊を造立す。とあるが、蓮祖聖人から日興上人へ賜ったという相伝の書面が全くない。そんな大事な大御本尊が造立されていたとしたら、九世日有上人(大石寺)の代までは、実在した証拠の文書が全く残っていないというのは甚だ奇怪な事である。
日蓮仏法の相伝
保田妙本寺住職の代々にも、富士大石寺住職の代々にも血脈相承の無い義ははっきりしている。そこで大事なのは血脈相承の書面ではない。誰が日蓮聖人の正義を時代を超えて継承したかである。日蓮聖人は釈迦仏が予言した【末法出現の地湧の菩薩】を受けて、法華経の相伝を自受用身して末法に法華経を流布したのである。大切な事は日蓮仏法の相伝を自受用身して末法に弘通する事である。
寺院仏教の形骸化
現代社会における寺仏教は既に形骸化している。全国寺院の僧侶たちは、仏教本来の民衆の指導者としての使命を忘れ死者の弔いを生業としている。保田妙本寺の僧侶もしかりである。本来、正宗の僧侶は「法華折伏破権門理」の如来の使いとして、貧民、病人の謗法を破折して宿命転換の法理を教え、自力で裕福、健康の宿命に転換させる使命がある。にもかかわらず折伏の使命を忘れ貧民や病人から御供養を受け取るだけで、何の仏道修行の指導もしていない。法師の皮を着た畜生の姿である。そんな僧侶に御供養したら功徳どころか罰を受ける。
わたしは過去九ヶ年の妙本寺信仰の間、十七人の人たちを妙本寺信仰につけた(私の部屋で日興上人の御本尊を拝ませていた)。保田妙本寺に一緒に登山したのは14人で、延べ27人(推定)となる。しかし、御本尊を戴けたのはたった一人。それは修郷師(現日誠上人)が「五回以上登山させなければ御本尊を下付しない」といったから。紹介者の私としては14人の人たちが御本尊の下付をして戴く為には、七十回以上も付き添い登山をしなければならない。それは未入信者は一人では登山しないから。私にとって、七十回の登山は交通費だけでも四十七万六千円(試算)もかかる。それだけではなく折伏に要する経費は別途に百万円以上かかるであろう。それに70回登山する度に御供養はつきものだから、それも100万円以上かかると思う。信者だけに苦労して折伏させ、妙本寺の僧侶たちは何もしないで新入信者と御供養を受け取るだけとは。僧侶は丸儲けである。日蓮正宗創価学会時代もその様な有様であった。長い間先祖からの念仏の害毒に犯されていた私は今気づいたのである。信仰とは自分個人と日蓮仏の関係であると。間で搾取する人師は必要無いと。
妙本寺に帰依して五年目位の時だったと思う。実家の菩提寺である浄土真宗勝善寺(南房総市二部)のお寺の住職を三度折伏に行った。親鸞念仏を破折した。井上執事さんをして「妙本寺についてもよいが檀家がなかなか説得できない」とまで云わしめた。もう一歩という所で、妙本寺の修郷師(現日誠上人)に「一緒に勝善寺へ折伏にいってください」とお願いした。すると修郷師は「お寺の折伏は難しい。その内に寺としても折伏する」と言った。時がたって忘れ去られた。あの時だったら折伏できたかも知れない。なぜなら勝善寺の井上執事は天羽高校の先生をしていて念仏信仰にはあまり執着心が無かったからである。
仏の使命は一切衆生の救済
御書に見る日蓮聖人の指導
日蓮聖人は貧しい人のわずかな御供養にも「芋一駄御書」「筵三枚御書」などを送り信心の要諦をご指導されました。
芋一駄御書
いも一駄・はじかみ五十把・送りたびて候。
この身延の山と申し候は....(割愛).....かかるいみじきところ・峰には蝉の声・谷には猿のさけび木はあしのごとし・草はあめに似たり、しかれども・かかる芋は見え候はず、はじかみはおいず、石に似てまもり柔らかなり、草ににて草よりも味あり。
法華経に申し上げ候いぬれば御心ざしはさだめて釈迦仏しろしめしぬらん、恐々謹言。(趣意)
筵三枚御書
筵三枚・わかめ一籠・給いおわんぬ。
そもそも三月一日より四日にいたるまでの御遊びに心なぐさみて・痩せ病もなをり・虎とるばかおぼえ候上・この御わかめ給ひて獅子に乗りぬべくおぼえ候。
さては財は処により人によってかわりて候、此の身延の山には石は多けれども餅なし、苔は多けれどもうち敷く物候はず、木の皮を剝いで敷き物とす・筵いかでか財とならざるべき。
億耳居士と申せし長者は足のうらに・毛の生えて候いし者なり、歩行のところ・家の内には申すにおよばず・綿を四寸に敷きて・踏みし人なり、これは如何なる事ぞと申せば・先世に尊き僧に熊の皮を敷かせしゆえとみえて候。
いわうや日本国は月氏より十万余里をへだてて候辺国なる上・夷の島・因果の理も弁えまじき上・御筵を法華経にまいらせ給い候いぬれば。(趣意)
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