宗教とは何か? of 日蓮仏法

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宗教とは何か?  

生命を体内から明かした仏教

 宗の字のウ冠は宇宙を意味しその下に示すと書く、すなわち宇宙を示す教えと書いて宗教という。宇宙とは虚空に浮いた地球の事でもある。昔は一閻浮提(いちえんぶだい)といった。一閻浮提には異なった世界の国々がある。大国小国合わせて世界には206の国々がある。国々には指導者(王•執政•首相•大統領)がいて其の国を治めている。国は指導者の信教及び民族、文化、言語、経済その他の異なる要因によって分かれている。指導者或は各国国民の宗教が一つになれば世界は一国となるであろう。しかし宗教の対立を対話によって合意に至るのは困難がともなう。そこで勢い武力によって統一しようとして戦争が起こる。
 人間は地球生命からはみ出して生きる事はできない。地球は一つの生命体である。宗教は、就中仏教は、就中法華経は生命とは何かを明かした法である。地球生命自体が人間と同じ十界互具一念三千の当体なのである。この根本原理を明かしたのは三世に世界広しといえども日蓮仏と釈迦仏の二仏のみである。釈迦仏の正法の時を過ぎ、像法にでた天台、伝教の二大師は内には知れども時いたらず明かさなかった。白法隠没した末法今時は日蓮仏の時代である。
 なぜ宗教が無数にあるのだろうか?それは「生命」の悟りの浅い者たちが不完全な生命観をバラバラに説いたからである。インド釈迦族の尊者(釈尊)であった釈迦仏が一代50年に仏教を説いた。30歳成道(垂迹)から72歳までの42年間には華厳•阿含等の小乗経、方等(念仏•真言•禅•律)の権大乗経を説いた。それから、42年未見真実(いまだ真実を見ず)と言い、爾前(その前の教え)権教(仮の教え)は捨てなさいと言って80歳入滅までの8年間に般若•無量義経•法華経•涅槃経等の大乗経を説いた。釈迦仏法の本義は法華経一経である。それなのに後代、法華経を宣揚した天台•伝教を除いた他の諸々の人師は皆釈尊の教えに反して小乗或は方等の権大乗経に執着して、縦に釈尊につらなるのではなく横しまな邪宗を立ち上げたのである。善無畏三蔵、曇鸞、善導、道綽、弘法、法然、親鸞、良寛(思い出すまま)その他多数の邪師たちがそれである。
 その釈尊の教えに背いて方便権教で立宗し、釈尊の本義である「諸乗一仏乗」の法華経の義を踏みにじり法華経の正義を隠没さたのは、多くは念仏、真言、禅、律等の邪宗教である。

生命を体外から明かした外道教

 生命を心物二分して明かしたのが外道教である。神教と物理教の二元論の事である。神教にはユダヤ教・キリスト教・イスラム教・神道・天理教その他の神を信仰の対象とするもので一神教と多神教がある。一神教の教義は「天地創造説」に基づいた天地創造神への信仰でキリスト教(ユダヤ教)の神に代表される。またイスラム教のアラーの神もそうである。多神教は先祖や偉人などを神として尊崇するもので日本の氏神などである。仏教上の神は梵天、帝釈、八幡大菩薩という諸天善神であり体内に列座する外用内道の神であるから外道教とは異なる。
 天地創造神というのは「天地創造説」にもとづいて人間が勝手に考えだした想像上の神である。実際に宇宙のどこかに人間を象った神がいるというのは物理科学の天体観察で否定されている。にもかかわらずキリスト教では天の父なる神、天理教では天理王命(親神様)、金光教は天地金之神などど擬人化して信じている。キリスト教では処女懐胎といい、杭打たれたキリストが気絶から一時的に目覚めたのを復活(蘇って何年も生きたという証拠はない)といって神の力を信じ込ませようとするが無理である。観念から生まれた話で道理がない。日本古来の氏神信仰とは天照大神を祖とする先祖崇拝の義である。功績のあった民族の長老などを死後も敬うこの思想は信仰というよりも道徳の分野である。いくら天照大神を信仰し祈願しても何も生活の知恵も与えてくれず迷いを断ち切ってくれないから凡夫が仏になれることはない。信仰の対象ではなく先祖は道徳的に報恩感謝すればよい。
 仏教上の諸天善神とは生命の体内に居ます守り神のことである。だから神とはいっても外道教の神とは違うのだ。「南無妙法蓮華経」と唱える法華経護持の人間の当体には、梵天、帝釈天、四天王、日天、月天、八幡大菩薩、それに天照大神までもが諸天善神として守護に当たっているのである。
 一方、物理教の信仰がある。物理を追究すると科学になる。科学は分析哲学を生む。キリスト教の神というような主観を廃して客観の世界観に立つ。人間生命を見る場合でも心に神を見ないで物理的な肉体を中心的に見る。だから機械論的唯物論の信仰者となる。マルクス・エンゲルスのヘーゲル弁証法唯物論を展開する共産主義思想などもこの物理教の類いである。ソ連の弁証法的唯物論者であった生化学者アレクサンドル・オパーリンは、「もし、物を動かす力を神と呼ぶなら私は神を信じる」といって物理教に疑問を投げかけた。現代は物理教の全盛時代であるが、福島第一原子力発電所の事故に見るように放射能物質に汚染され、やがて人間が住めない、人工ロボットしか住めない日本国土となりかねない危険を孕んでいる。

宗教に関する問題発言を正す  

ホームページ→ 立正安国論に見る日蓮のカルト性

三崎無我

 無我は、【立正安国論に見る日蓮のカルト性】という論のなかで以下のように述べている。
「 法然も、日蓮も、自分の宗派しか認めぬ「カルト」的傾向があったから弾圧されたのである。」
「 そもそも創価学会のカルト性は、日蓮に起因している、という事である。」
「 危機感を持ったのは、日蓮が「南無妙法蓮華経」しか認めなかった点である。」

正木日療

 カルトの解釈の誤りである。教祖たるもの二人にかぎらず全ての教祖が自分の立義だけしか認めていない。他宗を認めて立宗する教祖がどこにいるのか? 他宗を認めた時点で立宗の意義が無くなるのだ。
 カルトの意味は、元の英語のカルト(Calto)は、ラテン語のCultus(礼拝とか崇拝)に由来した「儀礼•祭典」の意味だった。しかし、今ではそれがある集団が示す熱烈な支持が高じて社会的に危険な宗教団体となった時カルトと言うのである。その意味で、創価学会はカルト的な側面を持っているが、日蓮聖人は他宗の坊主の讒言による鎌倉幕府の迫害にもひるまず一人で布教活動されたのであるからカルトどころではなく尊敬に値する御振舞であられた。 

宗教に関する問題発言を正す  

チョンガー 元学会員(2世)

チョンガーは、そのブログ「創価学会に悩むすべての人へ」という記事のなかで以下のように述べている。
1、「 呪文こそ仏教の核心とし、教義的な裏づけをしたのが密経典である。その代表格が大日経と金剛頂経で、空海はこの二つを中国から輸入した。」
2、「 密教では、密教こそが仏教の核心であり、」
3、「 日蓮法門は、密教そのものでしかない。」
4、「 天台の一念三千と言うものは、華厳の「一即他、他即一」の盗用なのである。」
5、「大日経、金剛頂経の述者が、天台教学を盗用したかどうかはわからないが、」
6、「愛染明王、不動明王は密経典に登場する密教仏であり、」
7、「曼陀羅は諸仏諸尊の織り成す涅槃の世界であり、
8、「それに祈祷することで涅槃の世界に我入するというのが密教の極理。これを日蓮は取り入れたわけである。」
ホームページ→ 創価学会員駆込寺

正木日療

1、「呪文こそ仏教の核心」とは誰が言っているのか。『大日経』は、7-8世紀頃成立したと考えられている密教経典である。637~735にインドから唐にやってきた善無畏(Śubhakarasiṃha)と唐の僧によって漢訳されたビルシャナキョウ(毘盧遮那経)が大日経となった。
2、「 密教では、密教こそが仏教の核心であり、」とは、誰が言っているのか、空海だけか。他の誰が言っているか。仏教の本師である釈迦如来は密教を認めていない。いかなる経典に載っているか?
3、「 日蓮法門は、密教そのものでしかない。」とは、誰の言葉か? 仏教を学んでいる者はすべてそう思っていない。あなただけの己義でしかない。
4、「 天台の一念三千と言うものは、華厳の「一即他、他即一」の盗用なのである。」とは、笑止千万である。天台の一念三千の出所は釈尊が涅槃(仏の死)の前、8年間に説いた法華経28品の要諦である。あなた以外に法華経は華厳経の盗用とは言わない。「第一真言、第二華厳、第三法華」と法華経を第三の劣と下す己義(己一人の意義)を立てる空海でもそんな事は言っていない。
5、「大日経、金剛頂経の述者が、天台教学を盗用したかどうかはわからないが、」わからない事から、理屈を立てると妄説となる。実は、天台の学僧の一行法師が、天台宗を退転して真言宗に移り、天台法華の一念三千の知恵を真言宗の学僧に付けたのが始まりである。
6、「愛染明王、不動明王は密経典に登場する密教仏であり、」日連聖人が蓮長名乗っていたまだ若い頃、不動明王と愛染明王の2図を描いている。習学時、それ等を学んだだけである。それと立宗いらいの御本尊(生命の縮図)とは全く別物である。ちなみに2図は保田妙本寺に蔵する。
7、「曼陀羅は諸仏諸尊の織り成す涅槃の世界であり、」曼陀羅(曼荼羅と書く方がメジャー)はインド語でマンダラといい、宇宙(生命)の真理を顕す図表をいう。何も真言だけのものではない。真言以外に、浄土曼荼羅(念仏)、垂迹曼荼羅 (神道)でも用いられている。日蓮聖人が曼荼羅を表しても不思議はない。真言の密教曼荼羅とは無関係なものである。尚、日蓮聖人出世之本懐の御本尊(根本尊敬仏)は曼荼羅ではない。
8、「祈祷することで涅槃の世界に我入するというのが密教の極理」とは誰の言説か? 祈祷する者は皆、密教の極理をぬすんでいるというのか?「日蓮は取り入れたわけである。」というが祈祷は日蓮聖人だけでなく、世界中の宗教の信者がしている行為である。

 チョンガーは物に狂って言うか、はたまた仏法の高低をを知らない無知で言うのか?自分だけ狂っても他人までも狂わせないでほしい。




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このホームページは、毎日少しずつ書き加え、また誤謬を訂正して行きますので、いつまでも未完成であり、いつなんどき編集で変更を加えるかも知れません。それは筆者の未熟の致す所でお許し願いたいと存じます。