宗教とは
宇宙を示す教えと書いて宗教といいます。
人はみな宇宙の三千大千世界に住んでいます。この宇宙の三千大千世界からはみ出して生きることはできません。
宇宙は一つですから教えも一つのはづですが、なぜ宗教が無数にあるのでしょうか?
それは、一つの宇宙(生命)は三千大千世界が集まったものです。一命ごとに一つの宇宙があり、三千大千世界があります。この宇宙(生命)と三千大千世界の関係の何たるかがわからない連中が間違った教えを説いて教祖となったので、世界には何十万もの宗教が存在します。したがって、一円の宇宙生命の世界が、部分・部分として説かれたために偏頗な教えが世界中に満ちあふれているわけです。
円教の片端・片端が説かれた教では、全ての教えを包含することができません。円を破れば角が立ちます。相手の良いところが見えなくなり悪いところばかりに目につくようになります。つまり偏狭な者は論争を好みます。それが喧嘩や戦争の引き金とななります。
世界には、大別して三大宗教があります。
一つは、神を信ずるユダヤ教・キリスト教・イスラム教・神道・天理教・その他の神教、それが一神教にしろ多神教にしろ、生命が神を拝むのは主人が下僕を拝むようなものです。唯心(神)教は、生命の哲理の半分を説いた偏った教えです。
二つは、万物に法則を与え、それを摂理として信仰する唯物教です。いわゆる機械論的唯物論などの信仰者やマルクス・エンゲルスのヘーゲル弁証法唯物論を展開する共産主義思想などもこの物質教の類いでしょう。かつて、ソ連の弁証法的唯物論の信者であった生化学者アレクサンドル・オパーリンは、「もし、物を動かす力を神と呼ぶなら私は神を信じる」と言いました。これは仏法の生命観に一歩近づいた叡智であると思います。
三つは、生命を説いた仏教です。物質が神の摂理で合体すると生命が誕生します。つまり生命とは、命の因果律で実体化した神と物質を包含して実存なのでする。この生命の実存に透徹した人を仏と呼びます。仏は数世紀に一人しか出現しません。約3000年前、インドに応誕した釈迦、随時代(西暦590年)の天台、平安時代(西暦866年)の伝教、鎌倉時代(西暦1280年)の日蓮の4仏です。
いずれの仏も時代とともに適した法を説きました。末法今の時は日蓮仏の教のみ繁盛の時です。説き方こそ違っても4仏ともに根本は一つの命の現われなのです。

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