二而不二 of 日蓮仏法

HOME > 二而不二

二而不二

仏と魔の二而不二

IMG00002161.jpg 仏は仏であって魔は魔である。天地の差別がある。何もぜず仏が魔に還ることは無い。魔が仏に変わる事もない。魔であったも日蓮仏法を信ずれば仏と成る。仏であっても日蓮仏法を謗ずれば魔と成る。二つであって而も一つにつながっている。
 仏は正法で魔を仏に変えようと折伏している。魔は仏から財宝を奪い己だけ豪華な生活をしようと努力している。その努力たるや涙ぐましいもので、身を飾り心を仏のごとく似せて威風堂々として無知の凡夫を騙すのである。仏は魔を見抜いているので騙されない。

潮のひるとみつと、月の出るといると、夏と秋と、冬と春との境には必ず相違する事あり。凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退くこれなり。(兵衛志殿御返事)

日本国の男は提婆がごとく、女は竜女にあい似たり。逆順ともに成仏を期すべきなり。これ提婆品の意なり。(上野殿御返事)

生と死の二而不二

IMG00002167.jpg 過去世につくった因果を宿命として負い現世を生きている。現世の言葉と行動【宗教】で過去の宿命を塗り替えて来世の宿命をつくっている。因果の法則は三世を貫いて常住する。生きている命は必ず死ぬ。死んだ命は必ず生きる。生命は生と死をくりかえして三世にわたって常住している。生と死は二つだが一つにつながっている。これが無上の日蓮仏法の知恵である。
 キリスト教、ユダヤ教、物理教、イスラム教、ヒンズー教、マルクスレーニン教、神道、天理教、その他の外道教の信者は、三世一円を知らずして生死の苦海に沈み、一度きりの人生と亡想し、ひそかに悪事を為しても優雅な生活をしようと企むのである。因果応報の正理を知れば悪事は出来ないものである。

善と悪の二而不二

 善はあくまで善である。悪はあくまで魔である。天地の差がある。正しい生命の法である日蓮仏法を、信じれば善となり謗ずれば悪となる。善と悪の二つは日蓮仏法で一つにつながっている。

男と女の二而不二

 男はあくまでも男である。女はあくまでも女である。天地の差がある。日蓮仏法の因果律で一つにつながっている。日蓮仏法を、信ずれば男となり謗ずれば女となる。

日と男

それ一代聖教とは総て五十年の説教なり是を一切経とは言うなり、此れを分ちて二と為す•一には化他•二には自行なり、一には化他の経とは法華経より前の四十二年の間説き給える諸の経教なりこれをば権教といいまたは方便と名ずく、これは四教の中には三蔵教•通教•別教の三教なり•五時の中には華厳•阿含•方等•般若なり法華より前の四時の経教なり、また十界の中には前の九法界なりまた夢と現の中には夢中の善悪なりまた夢をば権と云い現をば実というなり、この故に夢は仮に有って体性無し故に名けて実と為す、(三世諸仏総勘文教相廃立)

久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とはいうなり。(生死一大事血脈抄)

阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり。この五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、これより外の才覚無益なり。(阿仏房御書)

日本国の中に但一人南無妙法蓮華経と唱えたり。これは須弥山の始めの一塵、大海の始めの一露なり。二人三人十人百人、一国二国六十六カ国、すでに島二つにも及びぬらん。今は謗ぜし人々も唱え給うらん。又上一人より下万民に至るまで、法華経の神力品のごとく、一同に南無妙法蓮華経と唱え給う事もやあらんずらん。木は静かならんと思えども風やまず。春を留めんと思えども夏となる。(妙蜜上人御消息)

日本国の人々は多人なれども、体同異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚え候。悪は多けれども一善にかつ事なし。(異体同心事)

日本国の一切衆生は子のごとく、日蓮は父のごとし。法華不信の失によって無間大城に堕ちて返って日蓮を恨みん。又日蓮も声を惜しまず法華を捨つべからずと云うべきものを、霊山にて悔ゆることこれ有るべきか。(御義口伝上)

魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹(あんらじゅ)の花は多くさけども菓(み)になるは少なし。人も又此くのごとし。菩提心を発(おこ)す人は多けれども退せずして実の道に入る者は少なし。都(すべ)て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。鎧(よろい)を着たる兵者は多けれども、戦に恐れをなさざるは少なきがごとし。(松野殿御返事)

強敵を伏して始めて力士をしる。悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人(かとうど)をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。(佐渡御書)

此の法門を申すには必ず魔出来(しゅったい)すべし。魔競(きそ)はずは正法と知るべからず。第五の巻きに云わく「行解(ぎょうげ)すでに勤めぬれば三障死魔紛然(ふんぜん)として競い起る、乃至随(したが)う可からず畏(おそ)る可からず。これに随えば将に人をして悪道に向かわしむ、これを畏れれば正法を修することを妨ぐ」等云々。この釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり、謹んで習い伝えて未来の資糧(しりょう)とせよ。(兄弟抄)

この経をききうくる人は多し。まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘(おくじふもう)の人は希(まれ)なるなり。受くるはやすく持つはかたし。さる間、成仏は持つにあり。(四条金吾殿御返事)

月と女

天竺国をば月氏と申すは、仏の出現し給うべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給わざらん。月は西より東に向かえり、月氏の仏法の東へ流るべき相なり。日は東より出る、日本国の仏法の月氏へかえるべき瑞相なり。月は光あきらかならず、在世は但八年なり。日は光明月に勝れり、五五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり。仏は法華経謗法の者を治し給わず、在世には無きゆえに。末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此れなり。(諫暁八幡抄)

釈尊の因行•果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受時すれば、自燃に彼の因果の功徳を譲り与え給う。(観心本尊抄)

三従(結婚前には父に、結婚後は夫に、夫の死後は子に従う)が昔の女の美徳とされた。

女人は水のごとし•器は物にしたがう•女人は矢のごとし•弓につがはさる•女人は舟のごとし•舵のまかするによるべし、しかるに女人は夫•盗人なれば女人盗人となる•夫王なれば女人后となる•夫善人なれば女人•仏となる、今生のみならず後生も•夫によるなり、しかるに兵衛の左衛門殿は法華経の行者なり、たとい•いかなる事ありとも•夫の妻なれば法華経の女人とこそ仏は•しろしめされて候らんに•又我と心を発して法華経の御ために御かたびら贈りたびて候。(さじき女房御返事)

女人と生まれて百悪身に備うるも、根本この経誹謗の罪より起これり。(善無畏抄)

女人となる事は物に随って物を随える身なり。夫たのしくば妻もさかうべし。夫盗人ならば妻も盗人なるべし。(兄弟抄)

女人の往生成仏の段は経文に云わく「若し如来の滅後、後の五百歳の中に若し女人有って、是の経典を聞いて説の如く修行せば(中略)蓮華の中宝座の上に生じ」等云々。(薬王品得意抄)

女人は夫を魂とす。夫なければ女人魂なし。この世に夫ある女人すら、世の中渡りがたうみえて候に、魂もなくして世を渡らせ給うが、魂ある女人にも勝れて心中かいがいしくおわする上、神にも心を入れ、仏をも崇めさせ給えば、人に勝れておわする女人なり。(乙御前後消息)

女人の心を清風に譬えたり。風はつなぐともとりがたきは女人の心なり。女人の心をば水に描くに譬えたり。水面には文字とどまらざるゆえなり。(日妙聖人御書)

女人は水のごとし、器物にしたがう。女人は矢のごとし、弓につがわさる。女人は舟のごとし。舵のまかするによるべし。(さじき女房御返事)

女人の心をば水に譬えたり。心よわくして水の如くなり。(法華経題目抄)

女人はみめかたち美しければ必ずねたまる、この意なるべきか。日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あって種々の大難にあえり。(弥源太殿御返事)

女人は物を嫉むにかしこし。(日妙聖人御書)

女人物をねためば胸の内に大火もゆる故に、身変じて赤く、身の毛さかさまにたち、五体ふるい、面に炎あがり、顔は朱をさしたるが如し。(妙法比丘尼御返事)

女人をば地獄の使いと定められ、ある経には大蛇ととかれ、ある経にはまがれ木のごとし、ある経には仏種を煎れる者とこそ説かれて候へ。(四条金吾殿女房御返事)

女るいはいかなる失ありとも、一向に御教訓までもあるべからず。まして争うことなかれ。(四条金吾御書)

男は柱のごとし、女は桁のごとし。男は足のごとし、女人は身のごとし。男は羽のごとし、女は身のごとし。羽と身と別々になりなばなにをもってか飛ぶべき。柱倒れなば桁は地に堕ちなん。家に男なければ人の魂なきがごとし。(千日尼御返事)

「あらゆる三千界の男子の諸々の煩悩合集して、一人の女人の業障となる」(法華経題目抄)


日蓮直宗のホームページです。



はじめに

このホームページは、毎日少しずつ書き加え、誤謬を訂正してまいります。いつまでも未完成であり、いつなんどき編集で変更を加えるかも知れません。それは筆者の無明の致すところ、お許し願いたいと存じます。