健康 of 日蓮仏法

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健康とは病気を無くすこと  

病気を、どうして無くすか

photo05b.jpg正木テクニック1回で正常となるphoto05a.jpg股関節の障害がある病気とは気を病むことである。気とは精神(心)を働かす力であり、肉体(身)を動かす力でもある。故に、気が乱れると精神(心)も病み、肉体(身)も損傷して病む。精神(心)は肉体(身)に依存し、肉体(身)は精神(心)に依存する。二而不二の関係である。だから、精神(心)因の病もあるが肉体(身)因の病もある。精神(心)と肉体(身)の二つが、一つの生命を構成している。一つの生命は、精神(心)と肉体(身)の二つに切り離せないものである。切り離したら死んでしまう。それを知らない現代の医者は、精神(心)を診ずに(麻酔をかけて)物理的に肉体(身)のみ治療したり(物理医)、肉体(身)を診ずに(物理的処置をせず)精神(心)の治療(ケアー)のみをしている(精神医)。それは、現代の世界医療が、西洋外道の二元論(唯物•唯心)の悪義にもとづいているからである。それでは、病気は治らない。

病の起こりを知らざる人の病を治せばいよいよ病は倍増すべし。(種々御振舞御書)
病の起こる因縁を明かすに六あり。一には四大順ならざる故に病む、二には飲食節ならざる故に病む、三には座禅調わざる故に病む、四には鬼便りを得る、五には魔の所為、六には業の起こるが故に病む。(太田入道殿御返事)


仏(生命)医

昔のインド、中国には僧医がいた。いわゆる仏(生命)教を習った僧がもっとも医者として相応しかった。釈迦仏は最も優れた医者であった。インド1番の名医と言われたギバが、治せなかった心の病までも治した。ギバは身の病は治せたが心の病は治せなかった。随、唐の時代にも僧医がいた。天台の法華経と言う正しい生命観が流布していたからである。


病気の根絶  

生命の因果律で宿命転換をはかる

DSCN2163.JPG 産湯は少し熱めだった。お産婆さんの顔はおぼえていない。若作りの顔だったと思う。私は生まれて5歳までは健康優良児だったらしい。それは今年95歳になる母が証言する。幼児の頃、独りで遊んでいて縁側から落ちて頭を打った記憶がある。それが原因で頭蓋が変位し、環軸関節亜脱臼となった。その後の種々の病気の原因である。数えれば30位の症状がでた。それは過去世の宿業である。
 20歳頃の列車飛び込み自殺未遂。21歳の海への身投げ未遂。死の前に神の啓示で思いとどまった。主な病気の悩みは、便秘、円形脱毛症、結核、難聴、耳鳴り、蓄膿症、誇大妄想症、対人恐怖症、ネフローゼ、感染症等等。はじめは、病気を治す原理を見つけようと外道の教書(サルトル、ニーチェ、ヤスパース、デカルト等)を読んだ。また、キリスト教会に説教を聞きにも行った。見つけられなかった。東京へ出てさがそう、また、12歳からの希望、画家になる夢もあった。
 入信はしないまでも、板橋のイマヌエル教会の説教、天理教、PL教、谷口雅春(成長の家)などの書籍も読んで病気の解決の方途を探した。そんな中、26歳(昭和39年)で日蓮正宗創価学会に入信した。1日1万遍(3時間20分)の唱題で御本尊に病気の快癒を真剣に祈った。4ヶ月余りでネフローゼ(板橋日大病院通院)が治った。初信の功徳である。その後も1000万遍(年間360万遍)の唱題を決意し病気の宿命転換を願った(学会活動は二の次であった)。その結果、満願の29歳(昭和42年)になると、便秘、円形脱毛症、結核、難聴、耳鳴り、蓄膿症、誇大妄想症、対人恐怖症、ネフローゼ、感染症等等の病気はすべて治った。それ以後、学会活動に真剣に取り組んだ。毎年数人の折伏成果もあげられるようになった。ところが、学会活動にのめり込むあまり勤行唱題がおろそかになった。酒を飲んで、さぼる日も多々あった。そんな時、左足親指付根が痛風発作に襲われた。太った大柄の地区担さん(女性)に背負われて、近くの神谷病院へ2週間入院した。痛みは半分しか治らなかった。退院すると、毎日12時間唱題を三日間続けて祈った。すると、完璧に治った。
 29歳のとき、日蓮正宗創価学会男子部の班長をしていた。その後、男子部のリクレーションで三峰山(邪宗神社のある)へ行き相撲を取った。5人抜きで僕は3人までは投げ飛ばして勝った。4人目に出てきたのはでっぷり太った大男であった。疲れた僕は力が入らずあっさりと投げ飛ばされた。脳天から落下したらしい。「うーう」と息がつまって「これで終わりか」と思いつつ意識を失った。気がつくと隊長のMさんの顔が「大丈夫か」と覗いていた。あとで聞いたら、相手は日大の現役の相撲部員だったのである。
 それからというもの、しばらく右手が中風のように震えて字が書けなかった。それは何年かたって題目の功徳で治った。しかし、頸椎の5番と6番の椎間板の損傷が激しいようであった。手でさわると大きな段差がある。もう少し横から落ちていたらおそらく即死だったろう。それでも、医者にかからず日蓮仏法の生命の法則に任せていた。
 時々、頸椎が気持ち悪くて自殺したくなった。手で押すと頸椎5番が「ぐぐー」と沈み気持ち悪い。これを何とか直さないといけないと思っていた。後日、痛風の持病を治す為に整体、カイロプラクティックを勉強し身につけた。確か、大阪での講習会でケール先生だったと思う。オープンクリニックで頸椎6番をアジャストしてもらった。なかなか動かなくて終了後も手技をしてもらってやっと動いた。それからしばらくは体調がよかったのでカイロプラクティックで治ると確信した。
 痛風が毎年1回、2回と出るようになった。痛さに耐えかねて宿命転換の唱題があげられず医者と薬を頼った。はじめのころは、2週間位痛さを我慢すると治っていたが、だんだん1ヶ月以上と長引くようになった。医師の処方する尿酸値を抑える薬に頼ったが、発作の回数もだんだん多くなり年2〜4回の発作となった。
 昭和59年5月、絵画遊学で渡仏した。しばらくは痛風は出なかったが、昭和60年6月、一番ひどい痛風がパリで起きた。フランスの病院でコルヒチン他4種の投薬を受け治療したが症状が少し改善しただけで治らなかった。6ヶ月間寝たり起きたりの生活となった。昭和61年春帰国した。
 東京女子医大リューマチ痛風センターへ通院した。年4回、救急車で運ばれた。カイロプラクティック治療の仕事が休めないので、尿酸値を下げる薬と、消炎鎮痛剤(痛み止めのくすり)を飲んで仕事をした。そんな状態が何年も続いた。
022.gifカルテ 平成20年年8月10日、痛風発作で救急車を呼んだ、東京女子医大は受付不可能という事で赤羽中央総合病院へ搬送された。応急手当後、近くの池袋病院へ通院した。4ヶ月あまり通院してもなかなか治らないので考えた。気づいたことがある。尿酸の結晶が、足親指付根の骨の中へ、突き刺さって行くとには、ひどい痛みがでる。消炎鎮痛剤(ボルタレンSPカプセル37.5mg)をのむと、その激痛は無くなる。高尿酸値を下げようとユリノームをのむと、尿酸値は下がるが、足親指付根の骨の中へ入っていた尿酸結晶が排泄されるとき、また痛風の痛みがでる。その痛みを治そうと、また消炎鎮痛剤(ボルタレンSPカプセル37.5mg)をのむ。その繰り返しであった。そんなことを繰り返していたら、明らかに痛風の痛みではない、筋肉痛が起きるようになった。左右の足の甲から膝までと、左右の手指から手首•肘までの筋肉痛である。痛みの場所は日々変化する。ひどい浮腫(はれ)もある。また、足の甲には筋肉けいれん(スパズム)が起き、足が吊るようになった。その筋肉痛は過激で、重力に抗しきれず、手•足を持ち上げただけで激痛が走る。不思議に思い、のんでいる薬の副作用を調べてみた。すると、ボルタレンには「筋肉痛等の気になる症状が現れた時は服用を中止し、医師か薬剤師に相談して下さい」と書いてある。
030.gif薬の説明書 そこで主治医の水野医師に「筋肉痛•筋肉けいれんの詳しい症状を説明し、薬の副作用の神経痛ではないでしょうか?」と話してみた。すると、水野医師は「いや痛風です」といった。
 良導らくの自律神経測定器で測ってみた。測定値が10〜40と低下している時、自己カイロプラクティックを施して測定値を40〜50と平均にしておき、ボルタレンをのんでから、3時間後に測定したら、測定値が5〜30に低下していた。その旨を水野医師に話すと「そのデータを次回見せてください」といった。そこで次回、データを示しつつ説明していた。水野医師は不意に座を外した。数分後、看護師さんが来て「水野先生は急な往診が入って出かけられましたので、今日はお引き取り下さい」と言った。その診療拒否事件を池袋保健所の西尾医薬係長に報告した。係長は「厳重に注意して置きます」と言った。後日、診療拒否日のカルテをもらいに行ったが「弁護士を通さないと渡せなません」といわれた。
 池袋病院で投薬されたボルタレンSRカプセル37.5mg、ムコスタ錠100mg、ユリノーム錠25mg及びボルタレン錠25mg、セルベックスカプセル50mg、ユリノーム錠25mg、ラシックス錠40mg等等の薬をのんでから両足の浮腫と筋肉痛、両手の浮腫と筋肉痛、及び筋肉痙攣が出るようになったのは事実である。これは、薬害ではないだろうか?
001.gif2008.12.1の尿酸値平成20年(2008年)12月1日、痛風発作が起き、東京女子医大病院へ救急車で運ばれた。その時の尿酸値は4.9であった。そんな低い尿酸値で痛風になった。驚きである。あるいは、痛風ではなく筋肉痛だったのかも知れない。そんな疑問を持っていたとき「尿酸値が高くても痛風にはならない」という情報を得たので、よけいに西洋医学の一般的な「尿酸値を下げる」対症療法に疑問を持ったものでした。中島先生にもその旨をいって栄養療法、自然療法に切り替えたいと伝えた。すると、「尿酸値をさげないと発症しますよ」といわれ、院内の栄養士さんのアドバイスを受けるようにいわれた。そこで、栄養士の指導を受けつつ検査(血液•尿)だけをした。処方箋の薬は買ってのまなかったり、のんだりしていたが、平成21年(2009)3月より、処方箋をもらっても薬をかわないようにして薬を断った。
002.gif2009.1.19〜5.11のカルテ それで、尿酸値は10.4〜11.9と非常に高くなったものの、体調はよく痛風は、それ以後出なくなった。通院を止めた。平成22年(2010年)3月29日〜7月まで4ヶ月間、多発性神経炎(神経痛)で寝込んだ。しかし、それまでの1年1ヶ月間は、痛風も神経痛もまったくでなかったのである。過去にも、平成18年(2006)秋、医者がよいをやめて、どんなに痛くても唱題で宿命転換をして病気を根絶しようとした。日蓮仏法の祈りで1年半位痛風にならなかった。だが、油断により信仰が崩れると又ひどい発作がでた。平成20年(2008)8月10日の痛風発作は激痛で、つい痛みに耐えかねてまた医院に通ってしまったのである。
 とにかく、東京女子医大•池袋病院•その他の病院で処方された薬、ユリノーム、ボルタレン、ロキソニン、インメシン坐薬50•ザイロック錠50•ゼオエース錠15mg•ラシックス錠40mg•プレドニン錠5mg•二フラン錠•セルベックスカプセル50mg、その他の薬を飲んだので副作用が出たものと考えられる。
 激しい筋肉痛(多発性神経炎)•咳と発熱•眠気•めまい•発疹•全身のかゆみ•胸やけ•下痢•だるさ•全身倦怠感•多尿•呼吸困難•動悸•冷や汗•吐き気•食欲不振•尿量減少•黒便•便に血が混じる•褐色尿•黄疸•皮膚がかゆい等々の症状が出た。皆、副作用として薬の説明書の注意事項に記載されているものばかりである。
 平成21春、女子医大の主治医に宣言して医者通いを完全に断った。そして、日蓮仏法を実践しつつナチュラル•ハーモニーの自然栽培の玄米菜食を取り入れた。すると体質改善の好転反応と思われる多発精神敬遠が2度も起きたのである。1度目は平成22年4月〜7月で、2度目は平成23年1月〜6月である。好転反応でなければ、日蓮仏法信仰の弱体化につけ込んで魔が入ったのかも知れない。


一度目の多発性神経炎  

平成22年3月28日、保田妙本寺第51世日誠上人普山法要に参加、翌日午後3時、場所を君津駅前のハミルトンホテルに移しての祝賀会に参加した。祝賀会ではビールや酒、刺身や肉料理の品々、ミックスサンドイッチ等々。僕の食習慣で食べれる物は何もない。しかし昼食抜きだったので腹がへり、又医者と薬の服用を止めて痛風が出なくなってもうカレコレ1年経ったので、一回くらいは「まあいいか」と思い、ビール少々と刺身とミックスサンドなどを食べてしまった。

すると翌日の29日、朝起きると右足の長指伸筋の外側の立方骨の当たりに軽い痛みが有った。これは痛風発作なのか神経炎なのか、にわかに判断ができない。贅沢三昧の謗法法主の祝賀会に参加したための罰なのか。実は祝賀会への参加は相当迷っていたのだ。5,000円の参加費も家計を圧迫するし、出席しても食べれる物はあまりないだろうと想像はしていた。しかしまあ一生に一度の猊下誕生儀式を祝うのもいいだろうと思って参加を決めたのでした。

鋸南町保田から君津市へと向かうホテルの送迎バスの後部座席に乗っていると、後から法主を乗せた高級車ベンツがついて来るのが見えました。

痛み•かゆみの程度 +1=軽い +2=やや軽い +3=中程度 +4=きつい +5=激しい

30日、右足小指から外くるぶしにかけて腫れて痛いけど我慢すれば歩ける+2の痛み。
31日、右足の腫れがひどくなり+3の歩けない痛み。

『4月』
asitu-03.JPG左足の痛風発作が治り右足に起きた多発性神経炎(クリックで拡大)1日~2日、右足が痛くて立てない+4の痛み。

asitu-02.JPG右足の浮腫がひどくなり激痛がある(クリックで拡大します)3日~5日、布団に寝ていて動かさなければ全く痛みは無いが、足を持ち上げたり倒したりして、どちらかに体重をかけると、耐え難い激痛が走るようになり最悪の+5の痛み。
6日~7日、右足の痛みが少しやわらいで+4の立てない痛みに変わり、手足に+3の掻痒感(かゆみ)が発生。
8日~10日、立てたけど歩けない+3の痛みになり、かゆみが+5のマックスとなり手足から全身に広がる。
11日~16日、何とか歩ける+2の痛みと、+2のかゆみ。
17日、朝方に右足の足背部(長指伸筋)にスパズム(筋肉けいれん)が起き、痛みは小指側に。この筋肉痛とスパズムは長年飲んでいた消炎鎮痛剤(ボルタレン・ロキソニン等)の副作用が出たものと思われる。また、左足の親指の付け根(第1指節関節)の痛みの痛風発作と思われ•浮腫(はれ)も増加した。左手•腕のかゆみは+2程度。

asitu-01.JPG両足の浮腫と激痛と筋肉けいれんが最高となる(クリックで拡大)18日~21日、+4の立てない足痛。左足の腫れと痛みがひどくなり、右足のスパズムが時々起きる。
22日~23日、+2の痛みと左右の足痛は弱まるが腫れは同じ。右の膝蓋骨の下、けい骨そ面が痛くなる。左手の腫れ•痛み•かゆみは大分良くなった。手足のかゆみは無くなって、今度はへその周りに+3のかゆみがでま出た。
24日~25日、右足親指の付け根に疼痛あり+3~+4の痛み。左手の親指付け根にも疼痛あり。へそのかゆみに加えて肛門の周囲に+3のかゆみが出た。
26日~30日、+3のやっと歩けるほどの足痛。

【5月】
1日~2日、+3の歩けない足痛。
3日~6日、手足の痛みは治ったものの、急に左膝の上の内側に筋肉痛が起き+5の動けない痛み。
考えるに、これは昨年(21年)2月26日より医者通いと薬を断っていたが、29歳の初発作より足掛け43年間にわたり長い間服用して来て、骨髄に蓄積していた消炎鎮痛薬(ボルタレン・ロキソニン・二フラン等)の副作用が、体質改善の好転反応として出たものと思われる。
7日~16日、足は動かせるけれど+4の立てないほどの痛みあり。
17日~22日、+3の歩けない足痛。そして、左足の膝上の少し外側の筋肉が硬結し、右足の親指関節が腫れて痛くなり、右手の小指の関節が腫れて痛くなる。また右の下肢は薬のために神経がズタズタになって肉離れをおこしており、分断されていた筋肉が少しづつ修復されている感じがする。
23日、朝4時頃、へそがひどくかゆいので掻いていたら、汗臭いにおいのする黒い直径5mmくらいのへそクソが取れた。
24日~25日、+2の歩ける足痛。右足に時々スパズムあり。左足の大腿四頭筋の膝蓋骨上部に動かすとスキーンという疼痛があった。
26日~28日、足の痛みが増して+4の立てない痛になった。
29日~31日、痛みがなおも増加して+5で身動きできなくなった。


【6月】
1日~10日、+3の歩けない足痛。
11日~16日、+2の歩ける足痛。
17日~30日、+1の軽い足痛。へそのかゆみは殆ど治ったが、肛門周囲のかゆみが+4。

【7月】
1日~21日、大きく曲げると足に+1の軽い筋肉痛。足の腫れはわずかに残り、ちょっとしびれのような感覚がある。また、肛門周囲のかゆみが+5のマックスの状態になった。掻きだすと止められなくなり血がでるほど掻き壊す。しかし、がまんして掻かずにいると不思議とかゆみを感じない。
22日〜31日、両足の痛みは無くなって歩けるようになった。しびれの違和感もない。しかし、肛門周囲のかゆみが+5となる。

二度目の多発性神経炎  

平成22年12月26日、忘年会のため目白の自宅から西池袋まで歩いて往復したら、翌日から痛風様の痛みから多発性神経炎へと発展した。平成23年1月から5月まで寝たきり状態で動けなかった。

以下は正木ブログの【頭の歪みより骨盤の歪みから調整】より転載。

5月上旬に全快するかもしれないと思った矢先に•又5月22日から右足の甲が腫れ膝の痛みで歩けなくなり左手の腫れと筋肉痛で数珠も持てなくなり寝込みました。数珠が持てず正座もできず寝ていながらの勤行では姿勢の矯正ができず途方に暮れていました。


多発性神経炎-1.gif(25日午後5時頃)25日一日中痛みを堪えて悶々と布団に上向きに寝ながら痛みを我慢していた時夕方きひらめいた事がありました。それは平成8年頃に開発したMSOT(正木仙骨後頭骨テクニック)なら自己調整治療ができ効果があるかも知れないという事でした。
早速痛みをこらえながら骨盤ブロックを敷いて30分間治療してみました(25日午後5時)。すると翌朝目覚めると骨盤が安定して信じられないくらい手足の痛みが和らいでいました。



多発性神経炎-2.gif(26日午前5時頃)26日朝5時に目覚めると右足の痛みが和らいでいました。それから2度目の治療をすると午後からかなり痛みが楽になったので夕方近所のコンビニまで買い物に行きました。


多発性神経炎-3.gif(27日午前6時頃)27日朝は手足の痛みが非常に弱くなったので少し手足の運動をしました。そして朝10時頃ピーコックストアーまで買い物に行きました。



アメリカのカイロプラクティック•AOTの創始者でもあるロイ・スウェット博士は言った。「いったん傷ついた神経は癒えるまでに四ヶ月かかる」と。まったくその通りで3月29日に出た私の筋肉•神経痛は7月29日でちょうど4ヶ月となり、治ったのである。
今回の4ヶ月に及ぶ闘病生活を振り返って総括してみると、あの昭和60年にフランスのパリに居た時に起きた痛風で、フランスの病院にかかって投薬を受けても6ヶ月以上•寝たり起きたりで結局治らなかったのと比べると、副作用の痛みは大きかったものの非常に良い結果となった。
今回の足の神経痛と体のかゆみは、平成21年8月よりナチュラル・ハーモニーの自然栽培玄米と野菜の宅配を受けて、厳格な正食を実行して来て7ヶ月経った結果、好転反応としての副作用が出たのだと思う。
先ず骨髄の中にしみ込んでいたボルタレン•ロキソニンなどの消炎鎮痛薬が血中に出て神経が分断され手足に筋肉痛が起きたのだと思う。そして神経麻痺により体液循環が悪化したから手足の先の方に浮腫(むくみ)が起きたと考える。すると浮腫の中に溜まった尿酸によって何度も痛風発作が起きたというのが今回の症状だったのだろう。

原因不明の皮膚病  

 多発制神経炎らしき激痛がH23年6月に全快してほっとしたのも束の間、今度は肛門•尿道周りの鼠蹊部に集中的なかゆみが発生した。というよりも以前から痒かったものが神経痛が無くなったので、より鮮明になったと表現した方が的を得ている。
腕のかゆみ.JPG腕のかゆみ 以前にも書いたように、全身のかゆみが無くなり、ヘソの周りのかゆみとなり•それが無くなったら、今度は肛門の周囲と鼠蹊部の激しい掻痒感に移行した。6月、7月とだんだんヒドくなった。かゆみは我慢していれば一時的に痒くはない。かゆみが出て来て、そろそろかゆみが我慢できなくなった時、掻きだすと止められず血が出るほど掻きむしってしまう。そして今度はかきむしった部分がしぱしぱと痛いのである。尻の痛みで座って居られない。
 又、足の指の間にも激しいかゆみがあるが、それは以前からの水虫である。
shisshin-06.png尻のかゆみ 薬の副作用によるかゆみと決めかねていた。確かにボルタレン、セルベックス、ユリノーム、ウラリット、ラシックス、ムコスタ、ロキソニン等等に、【副作用 : 発疹•かゆみ】と明記されていたから薬害とばかり思い続けてきた。しかし、掻きむしったらどんどんかゆみの範囲が広がり太腿や臀部全域にまで及んできた。これはおかしい、何か悪い業病かも知れないなどと思い悩むようになった。
 多発性神経炎いらい医者嫌いになっていた。できれば生命治癒力で治したい。けれどかゆみは限界を超えた。「診察だけならよいではないか」「外用薬なら問題なかろう」との思惑があった。
 H23年8月11日、意を決して近くの目白皮膚科の診察を受けてみた。先生は問診で「薬の副作用ではないか」と訴える私の言で「ステロイド剤を出しましょう」と言った。「満月様顔貌になるのでは」というと「外用薬だから大丈夫」という。
 「足の指も痒い」というと、臀部から採取した細胞を顕微鏡で見ていた先生が大声で叫んだ「これはインキンタムシだよ。ステロイドではかえって悪くなる」と。
内心驚いた私が顕微鏡を見せてもらうと中では白鮮菌が樹状突起を伸ばしていた。
 名も聞かず投薬された軟膏をもらって帰宅した。それを1日6回塗ると劇的に改善した。瘡蓋も取れ湿疹もかゆみも減少した。それを良い事に大失敗をした。翌日、サウナ付きの銭湯へ行き、提供された石けんで角質が失せるほどゴシゴシと全身の皮膚を洗ってしまった。薬がしみ込みやすくするために。
 薬がしみ込みやすくなったところで幹部へ薬を塗った。幹部のかゆみはほとんど無くなったものの、今度は大腿•下腿といわず全身にかゆみが広がってしまった。これはおそらく皮膚の角質層が石けんで破壊されたところへ白鮮菌が侵入したものと思われる。今までは石けんを使わず毎日半身浴で汗をよく流すだけという入浴習慣だった。が、今回は特別ということで、戦前生まれの悲しさ「もったいない」という観念で石けんを使い切ってしまうほど洗って皮膚を荒れさせてしまったのである。
 手と、特に太腿から下肢にかけて蔓延したかゆみに悩まされている。軟膏を塗ってしのいでいるが、薬も早くなくなりつつあり、どうなる事やら。ああ痒い部(アーカイブ)は左足の太腿外部と左右の下腿(頸骨の内外側)の皮膚。
 11日に、2週間分の薬をもらったが1週間でほぼ使い切った。瘡蓋がほぼ取れてきれいになり痒みもほとんど無くなった。18日に薬だけもらいに行ったが診察となり、先生が皮膚を見て「きれいになったねえ」と目を丸くして驚いていた。
 薬が合っていたのだと思う。名を聞くと「ゲンタシン」•マリンブール•アンテベート(ステロイド)の自家調合薬だそうだ。もう4カ所くらいの小さな痒みのポイントだけとなったので、そこだけをたまに塗ればとい考えた。風呂の後、1日1回(自己流)病巣のある所だけに、薬はなるべく少量で、のばして使うコツを覚えた。
 30日、足の指も尻のまわりも痒みは全くなくなった。がさがさしていた皮膚も80%つるつるになった。まだ薬は90%残っている。

水虫が治ったら

 たまらなく痒かった左右足指の水虫は、医者の調合薬(ゲンタシン•マリンブール•アンテベート)で見事に治った。その白鮮菌が下肢、体幹へ転移したのも治った。それでもまだ、別の原因らしい乾疹(小さな痼り)が、臀部とか体幹に少し出ている。かゆみはあまりない。これは今の薬で、付けた部分は治るが、又別の部分にでる。でも、少しずつ治ってきている気がする。
 ある程度治ったら、薬の力に頼るのをやめて、体内の生命(自然)治癒力に依存しなければならない。生命治癒力を最大限に発揮する方法は、法華座禅(姿勢)を整えることである。



三度めの多発性神経炎  

邪気に染まって痛風がでる

「書きかけの項目」
 平成24年1月17日から左足親指付根に出た痛みが、右足親指付根、左足踵、右足膝頸骨粗面、左足頸骨粗面、左手親指付根へと1週間で徐々に移行し、25日に腫れも痛みも最大の+5となった。この時点では横座りになる事は出来ず患部の写真撮影もできなかった。
 28日、がまんしてやっと立つことができたが、バランスを崩して机の角で右の肋骨を折ってしまった。神経痛は、左手首、左肘へと移行、左足親指付根と右足親指付根の痛みは非常に軽くなった。



日蓮直宗

 平成22年、カイロプラクターの仕事を引退し、ライフワークとして1人でこのウェブサイトを制作•運営しております。

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このホームページは、毎日少しずつ書き加え、誤謬を訂正してまいります。いつまでも未完成であり、いつなんどき編集で変更を加えるかも知れません。それは筆者の無明の致すところ、お許し願いたいと存じます。