![]()
正木日療 (正木敏夫)
画家になる夢があったが病弱のため果たせなかった。腎臓脚気(ネフローゼ)やうつ病、その他の病に悩み日蓮正宗創価学会に入信した。それらは、日蓮仏法で克服した。昭和59年、離婚を機に欧州へ絵画遊学のため旅立った。パリで持病の痛風発作がでた。ビクトルユゴー駅近くの病院へ通院したが6ヶ月治らなかった。あきらめて61年春帰国した。東京女子医大痛風リューマチセンターへ通院したが治らない。63年整体師となった。それから、米国へカイロプラクティックの修学にも行った。痛風を治したいがためである。
米国カイロプラクティックに失望し、独自に開発した正木カイロプラクティックテクニックで、自分の痛風の治療は困難だった。自分の身が客観視できないからである。しかし、他人の身の病には効果的だった。糖尿病•変形性脊椎症•甲状腺がん•上腕神経痛•椎間板ヘルニア(頸椎•腰椎)•座骨神経痛•顎関節症•頭痛•靭帯骨化症•痴呆症•不安神経症•パニック障害•不妊症•生理痛•生理不順•筋肉けいれん•皮膚病等々に著しい効果があった。
20年のカイロプラクター生活を費やして、やっと自身の歪みが、主観的に理解できるようになった。セルフカイロプラクティックの体技を開発した。痛風発作は抑えられるようになった。が、今度は、長年のんだ消炎鎮痛剤ボルタレンの副作用の筋肉痛に悩まされている。平成22年、カイロプラクター生活に終止符をうった。
私は平成23年、独自に日蓮直宗を立宗した。それには次のようなわけがある。昭和39年、日蓮正宗創価学会に入信していたが、平成3年、創価学会と日蓮正宗大石寺(宗門)は、核分裂反応で分解した。平成3年11月28日、宗門の核 67世日顕は、法華講総講頭であった池田大作(創価学会の核)を罷免した。正本堂という原子炉の中で、日顕核(禅宗因子)と池田核(真言因子)に、一閻浮提総与大御本尊(引力)という中性子がぶつかり、大規模な核爆発を起こした。そこから飛散した放射能は、世界に飛び散り、脳症(頭破七分)•癌症(狂った細胞)の病気を生み続けている。
日顕は、一般学会員には、期限付きで宗門に帰さない者は破門処分とするという通達を出したらしい。末端の学会員には何の通知もなかった。だから私は平成12年まで日蓮正宗創価学会員のつもりであった。大石寺信仰の女性と、インターネットで知り合い、メール問答したとき、初めて自分が破門されていたと知った。
創価学会を疑わず、妄信していた、馬鹿な自分を知った。平成12年、開目抄を再再読していた私は、池田大作が学会版御書の189Pに記された摧尊入卑の還俗した悪魔の比丘と二而不二であると悟った。そして、彼の著作小説人間革命の指導には、理と事に大きな矛盾があると悟った。それは、随所で「本因妙の闘いをしろ」(理)と指導しておきながら、海外指導から帰国した伸一が、本因妙で闘っていた原島理事長を叱る(事)場面であった。仏の闘いをしろ(本因妙)と言っておきながら、所化の闘いをしろ(本果妙)と叱っているのである。その矛盾を私は、創価学会田端本部の「小説人間革命感想発表会」で力説した。すると居並ぶ地区部長•支部長の幹部から睨まれて会は騒然となった。会後、北区松野副区長と問答したが解決しなかった、後日、沼野区長と問答したが解決しなかった。後日、創価学会本部に行き、宮本(ただのり)副会長と問答した。その時私は、創価学会の非を責めた。すると副会長は「そんなに学会が嫌だったら辞めればいい」といった。私は彼を叱りつけた「辞めればいいとは何事ですか、命がけで長年信心して来たのです。簡単に辞められますか。」と。
後日、今度は日蓮正宗常在寺及び法道院へ行き僧侶と問答した。創価学会の非を挙げると両寺院とも賛同したが、日蓮正宗の非を挙げると反発した。そして、大石寺と妙本寺の分裂の原因を正すと全く要領を得なかった。
後日、日蓮正宗から分離していた大本山保田妙本寺へ行き、鎌倉日櫻と問答した。私が、開目抄の解釈(前述)と、百六箇抄における【脱益十妙の本迹】に記された「仏は本因妙を本となし、所化は本果妙を本と思えり」の書証で、池田の「人間革命」指導の非をあげると、賛同してくれて「正木さんはすごい」といった。その場で妙本寺の信徒となった。日櫻師は平成21年9月18日、101歳で亡くなった。
平成22年3月28日、櫻師の次男の日誠(修郷執事)が法主猊下となった。修郷師とは、問答したことがあった。「人法一箇」の解釈を聞くと「人法ともに日蓮大聖人のみ」と答えるだけで、聖凡の二而不二については答えられない。等覚一転名字妙覚を知らない無学僧である。仏道修行の使命すら忘れ、名利に明け暮れ、要らぬ死者の弔いを生業として家族を養っている。法師の衣を着た畜生である。
私は、平成22年3月28日、保田妙本寺第51世日誠上人普山法要に参加、翌日午後3時、場所を君津駅前のハミルトンホテルに移しての祝賀会に参加した。祝賀会ではビールや酒、刺身や肉の豪勢な料理の数々、精進料理の私の食べれる物は何もない。しかし、昼食抜きだったので腹がへっており、又医者と薬を止めて痛風が出なくなってもうカレコレ1年経ったので、一回くらいは「まあいいか」と思い、ビール少々と刺身とミックスサンドなどを食べてしまった。すると翌日の29日、朝起きると右足の長指伸筋の外側の立方骨の当たりに軽い痛みが有った。これは痛風発作なのか神経炎なのか、にわかに判断ができない。はたまた、贅沢三昧の謗法法主の祝賀会に参加した罰なのか?その後、4ケ月間にわたって、神経痛で寝込んでしまった。
平成23年1月14日、私は、日蓮直宗を立ち上げた。
般泥洹経(はつないおんきょう)に云わく「善男子過去に曾て無量の諸罪種々の悪業を作るに是の諸々の罪報は或は軽易せられ•或は形状醜る•衣服足らず•飲食そ疎•財を求めるに利あらず•貧賎の家邪見の家に生まれ•或は王難に遭い•及び余りの種々の人間の苦報あらん現世に軽く受くるはこれ護法の功徳力に由るが故なり」云々。
この経文は我が身に十分に当たっています。一々の句を我が身に当てはめれば、法華経に云わく「軽賤憎嫉」と五十年間も軽んじられ賤しまれ憎まれ嫉妬され、あるいは見目形は醜く生まれ、衣服は不足しており、飲食は粗末であり、財宝を求めても利益がなく、貧乏の家•邪見(浄土真宗)の家に生まれ、あるいは王難(父母•師匠•上司•国民よりの難を受ける)にあって来ました。
| 正木敏夫(日療)経歴 | |||||
| 西暦 | 和暦 | 首相 | 寿 | 経歴 | 世界事跡 |
| 1937 | 昭和12年 |
近衞文麿 |
芦溝橋事件を期に日中戦争勃発 日独伊防共協定 |
||
| 1938 | 昭和13年 |
1 | 千葉県安房郡勝山町に生まれる 父大東亜戦争で支那へ出征 |
国家総動員法公布 台風襲来 インドネシア、バンダ海地震 |
|
| 1939 | 昭和14年 |
平沼騏一郎 阿部信行 |
2 | アメリカ通商条約破棄通告 台風襲来被害甚大 |
|
| 1940 | 昭和15年 |
米内光政 近衛文磨 |
3 | 日独伊三国同盟成立 台風来襲被害甚大 | |
| 1941 | 昭和16年 |
東条英機 |
4 | 父傷病兵で一時帰国 | 太平洋戦争 尋常小学校を国民学校と改称 米穀 配給通帳制実施 台風来襲、被害甚大 大政翼賛会県支部発足 |
| 1942 | 昭和17年 | 5 | 妹生まれる | ミッドウェー海戦 知覧陸軍飛行場完成 |
|
| 1943 | 昭和18年 |
6 | 父再度大東亜戦争で支那へ出征 |
大東亜宣言 学徒出陣 溝辺十三塚原海軍飛行場・加世田万世陸軍飛行場完成 |
|
| 1944 | 昭和19年 |
小磯国昭 | 7 | サイパン島上陸 学徒の集団疎開 川辺郡笠沙町片浦で大火 東南海地震 |
|
| 1945 | 昭和20年 |
鈴木貫太郎 東久邇宮稔彦王 幣原喜重郎 |
8 | 勝山小学校入学 | 沖縄日本軍全滅 原爆投下 終戦 国際連合成立 米軍鹿屋に進駐 枕崎台風襲来 阿久根台風被害甚大 米軍部隊鹿児島市に進駐 |
| 1946 | 昭和21年 |
吉田茂 | 9 | 父復員して帰る | 日本国憲法公布 北緯30度以南の南西諸島を日本の行政から分離(GHQ) 桜島噴火、溶岩、黒神部落の8割を埋没 |
| 1947 | 昭和22年 | 片山哲 | 10 | 弟生まれる | 教育基本法公布 首相に片山哲 初の知事・市町村長公選 南海道地震 カスリーン台風 |
| 1948 | 昭和23年 |
芦田均 吉田茂 |
11 | 休日「成人の日」「こどもの日」 アイオン台風 |
|
| 1949 | 昭和24年 |
吉田茂 |
12 | 妹(下の)生まれる | ドッジ・ライン シャウプ勧告 キティ台風 |
| 1950 | 昭和25年 |
13 | 朝鮮戦争勃発 警察予備隊設置 鹿児島市で祇園祭り復活 鴨池競技場完工 竪穴式住居跡発見 |
||
| 1951 | 昭和26年 |
14 | 勝山中学校入学 | 日米安全保障条約 ルース台風襲来 鴨池動物園にタイ産象2頭入園 |
|
| 1952 | 昭和27年 |
15 | メーデー事件=デモ隊が皇居前広場で警官隊と衝突、血のメーデーとなる |
||
| 1953 | 昭和28年 |
16 | 朝鮮戦争終結 NHKテレビ放送開始 ラジオ南日本放送開始 奄美群島日本復帰 |
||
| 1954 | 昭和29年 |
鳩山一郎 |
17 | 千葉県立安房農業高等学校入学 |
死の灰事件 洞爺丸台風 |
| 1955 | 昭和30年 |
18 | 自由民主党結成 |
||
| 1956 | 昭和31年 |
石橋湛山 | 19 | 日ソ共同宣言 国連加盟決定 桜島大爆発 |
|
| 1957 | 昭和32年 |
岸信介 |
20 | 千葉県立安房農業高等学校卒業 |
なべ底景気 鴨池空港開港 |
| 1958 | 昭和33年 |
21 | 勝山町(鋸南町)役場吏員 |
警職法改正をめぐる混乱 NHK-TV開局 狩野川台風 |
|
| 1959 | 昭和34年 |
22 | メートル法施行 MBC-TV開局 伊勢湾台風 宮古島台風 |
||
| 1960 | 昭和35年 |
池田勇人 |
23 | 民主社会党結成 |
|
| 1961 | 昭和36年 |
24 | 上京 | 農業基本法、防衛2法改正 第2室戸台風 |
|
| 1962 | 昭和37年 |
25 | 東京芸術大学受験失敗 | 内之浦町の東大宇宙観測所で初のロケット打ち上げ成功 |
|
| 1963 | 昭和38年 |
26 | 美術研究所絵画遊学 便秘、円形脱毛症、結核、難聴、耳鳴り、蓄膿症、被害妄想症、対人恐怖症、うつ病、ネフローゼ、感染症等等の諸病に悩む |
原子力研究所で発電成功 |
|
| 1964 | 昭和39年 |
佐藤栄作 |
27 | 日蓮正宗創価学会入信 初心の功徳はネフローゼ(腎臓脚気)が4ケ月で治ったこと | 東京オリンピック大会 |
| 1965 | 昭和40年 |
28 | 昭和スチール工業株式会社入社 |
名神高速道路開通 鶴田ダム完成 |
|
| 1966 | 昭和41年 |
29 | 休日「敬老の日」設定 第2宮古島台風 |
||
| 1967 | 昭和42年 |
30 |
便秘、円形脱毛症、結核、難聴、耳鳴り、蓄膿症、被害妄想症、対人恐怖症、うつ病、ネフローゼ、感染症等等の諸病が無症候となる。絵画遊学 |
いたいいたい病問題化 |
|
| 1968 | 昭和43年 |
31 | GNP世界2位 いざなぎ景気 第3宮古島台風 |
||
| 1969 | 昭和44年 |
32 | 東名高速道路開通 |
||
| 1970 | 昭和45年 |
33 | 日航機よど号ハイジャック 内之浦から人工衛星「おおすみ」打ち上げ成功 |
||
| 1971 | 昭和46年 |
34 | 父逝去57歳 | ドルショック 変動為替相場制移行を決定 |
|
| 1972 | 昭和47年 |
田中角栄 |
35 | 株式会社日光エンジニアリング入社 |
沖縄本土復帰 |
| 1973 | 昭和48年 |
36 | オイルショック |
||
| 1974 | 昭和49年 |
三木武夫 |
37 |
築地がんセンターにて直腸がんと診断され人工肛門を勧められたが、信心で治そうと一念発起 唱題をさぼっていたことを反省する |
ルバング島で元日本兵小野田寛郎発見 |
| 1975 | 昭和50年 |
38 | 河西正範画伯に師事 此木三男画伯に師事 |
山陽新幹線博多まで開通 種子島から人工衛星「きく号」打ち上げ成功 |
|
| 1976 | 昭和51年 |
福田赳夫 |
39 | ロッキード事件表面化 ミンダナオ島地震 |
|
| 1977 | 昭和52年 |
40 | 日航機ハイジャック 台風9号沖永良部島を直撃 |
||
| 1978 | 昭和53年 |
大平正芳 |
41 | 日中平和友好条約調印 |
|
| 1979 | 昭和54年 |
42 | 此木師の池田大作(創価学会)批判により破門される 恵子と結婚 | 東京サミット開催 |
|
| 1980 | 昭和55年 |
鈴木善幸 |
43 | 千葉ナチュラルに入社 津田沼店店長を勤める |
自動車生産台数1000万台で世界一 |
| 1981 | 昭和56年 |
44 | 東海建設株式会社入社 |
中国残留日本人孤児初の来日 |
|
| 1982 | 昭和57年 |
中曽根康弘 |
45 | 高校総体鹿児島市で開催、皇太子ご夫妻と礼宮さ まがご臨席 桜島南岳の火山灰が鹿児島市を襲う |
|
| 1983 | 昭和58年 |
46 | マンション管理人の仕事をしながら絵を描く |
任天堂「ファミコン」発売 |
|
| 1984 | 昭和59年 |
47 | 恵子と破局 単身欧州絵画遊学 パリのレストラン大阪屋でアルバイトをしていたとき不法労働の罪でシテ島の警察に連行され1日拘束される |
グリコ・森永脅迫事件 |
|
| 1985 | 昭和60年 |
48 |
パレロワイヤルの画廊にて個展 長谷川彰一 木村忠太 田淵安一等の画家の知古を得る パリにて痛風発作6ケ月間闘病 |
日航機墜落事故死者520人 桜島爆発で鹿児島市にどか灰 |
|
| 1986 | 昭和61年 |
49 | ギリシャにて水彩画24枚制作 帰国 | 東京サミット開催 三原山大噴火 |
|
| 1987 | 昭和62年 |
竹下登 |
50 | 東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センターに通院 |
国鉄分割民営化JR発足 |
| 1988 | 昭和63年 |
51 | 整体術センター卒業 | 青函トンネル開通 瀬戸大橋開通 |
|
| 1989 | 平成元年 |
宇野宗佑 海部俊樹 |
52 |
東京上野整体道場入門 悦子と再婚 自然整体医療学院開校 整体正木治療室開院 |
昭和天皇没 皇太子明仁親王即位 消費税スタート |
| 1990 | 平成2年 |
海部俊樹 |
53 | シオカワ スクール オブ カイロプラクティック入学 娘茉樹生まれる |
湾岸戦争で多国籍軍に50億ドル支援 フィリピンバギオ大地震 |
| 1991 | 平成3年 |
宮沢喜一 |
54 | 自衛隊ペルシャ湾の地雷除去 新幹線鹿児島ルート起工 |
|
| 1992 | 平成4年 |
55 | シオカワ スクール オブ カイロプラクティック卒業 ライフ スクール オブ カイロプラクティックで修学 スウェットクリニックで研修 | 学校週五日制スタート |
|
| 1993 | 平成5年 |
細川護煕 | 56 | ライフカイロプラクティックセンター開院 正木カイロプラクティック研究所設立 | 鹿児島市に集中豪雨、甲突川氾濫、石橋流失、竜ヶ水土石流 |
| 1994 | 平成6年 |
羽田孜 村山富市 |
57 | ||
| 1995 | 平成7年 |
村山富市 |
58 | 正木骨格形態力学発見 正木テクニック開発 | 阪神淡路大震災 地下鉄サリン事件 |
| 1996 | 平成8年 |
橋本龍太郎 |
59 | サンカイロプラクティックアカデミー開講 | 休日「海の日」設定 パプアニューギニア地震 |
| 1997 | 平成9年 |
60 | 消費税 5% 林田産業経営不振 |
||
| 1998 | 平成10年 |
小渕恵三 |
61 | 蜂窩識炎 痛風 結腸癌を併発 ライフカイロプラクティックセンター閉鎖 闘病生活に入る 忙しさにかまけ信仰•唱題をさぼっていた故の病気と知る | |
| 1999 | 平成11年 |
62 | 北区特別養護老人ホームにてボランティア治療 | 失業者300万人 |
|
| 2000 | 平成12年 |
森喜朗 | 63 |
大塚骨格医療院(東京骨格医療院)開院 |
首相に森喜郎 |
| 2001 | 平成13年 |
小泉純一郎 |
64 | 日療骨格クリニック開院 日療カイロプラクティック専門学院開校 悦子と離婚 | |
| 2002 | 平成14年 |
65 |
国家資格者(HN)にインターネット上で嫉妬され日療骨格クリニックの看板が2度黒スプレーで消される妨害を受ける また、国家資格者の訴えで院名につき豊島保健所の行政指導を受ける |
||
| 2003 | 平成15年 |
66 | |||
| 2004 | 平成16年 |
67 | 匝瑳市に此木画伯を尋ね創価学会脱会を報告し旧交を温めるとともに、一緒に保田妙本寺へ万年久護本尊を拝しに行く | 新潟中越地震 スマトラ沖地震 | |
| 2005 | 平成17年 |
68 | 悪徳ホームページ制作会社オールインターネット(ジーク社)に騙されて有限会社日療が倒産 | ||
| 2006 | 平成18年 |
安倍晋三 | 69 | ||
| 2007 | 平成19年 |
福田康夫 | 70 | ||
| 2008 | 平成20年 |
麻生太郎 | 71 | ||
| 2009 | 平成21年 |
鳩山由紀夫 | 72 | スマトラ島沖地震 |
|
| 2010 | 平成22年 |
菅直人 | 73 |
保田妙本寺第51世日誠上人普山法要に参加 翌日から痛風と多発性神経炎が出て4ケ月間寝込む 日療骨格クリニック閉鎖 カイロプラクター引退 |
ハイチ大地震 チリ地震 中国青海省玉樹チベット族自治州玉樹県地震 |
| 2011 | 平成23年 |
野田佳彦 |
74 |
前年12月26日、忘年会のため目白の自宅から西池袋まで歩いて往復したら、翌日から痛風と多発性神経炎へと発展5ケ月間寝込む 日蓮直宗を立宗 |
東日本大震災 福島第一原子力発電所事故で放射能が世界に飛び散る |
| 2012 | 平成24年 |
75 | 日蓮直宗信徒会 | ネグロス島沖地震 |
|
HOME
新着情報








