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白米、白砂糖、精製塩、肉魚食(動物食)、農薬野菜、添加物加工食品等々
米へんに白と書けば粕という文字、白米は栄養のつまった胚芽を取り除いた粕である。多くの人は美食を求め粕を食べている。栄養がないからと野菜を食べれば農薬付きの発癌菜食、悲しいかな外道仕込の肉食習慣、破戒の生臭坊主が食べていた魚介類食、産業奉仕で慣らされた添加物の美味感覚、自然のミネラルを排除して美しく仕上げた白砂糖、人工の精製塩などが魔の食品である。
肉食は神を食む、菜食は物を食む
動物の中には神がいる。神経は神のとおり路である。神経を切断すると痛い。屠殺人は業が深かろう。物理的な人間は平気で神を殺して肉を食らう。が、心理的な人間はとても神を殺せないから肉が食えない。植物には神経はない。磁気の流れで育つものだから神を殺す事にはならない。稲、根菜、果実、木の実は正しい食物である。
農薬野菜
農薬は不要なもの、生命を殺す害薬である。有益な菌を殺す、蘇生に必要な微生物を殺す、土を耕し肥料ともなる有益な虫や小動物を殺してしまう。百害あって一利も無い自然(地球生命)破戒の魔物である。地球生命の自然は、大小有無の様々な生命の因果律の秩序で成り立っている。それを邪悪な物理学者の輩が農薬をつくって自然の摂理によらず人工で多収穫を夢見た。その結果どうなったかというと、田畑は死に、川は死に、海も人間も大きな痛手を被った。海の生き物も弱った。人間も発癌で多大な被害を被っている。原発事故の時の枝野さんの言葉をかりれば「直ちには被害が出る摂取量ではない」となるが、農薬は少量でも被害があるわけで「直ちに被害が出ない」というのは将来的には被害が出るという事である。発癌性において放射線も深刻な問題だが農薬も深刻な問題である事を知らねばならない。
政府の定める法律は笊である。水が漏れている。農薬には使用農薬の表示が義務づけられていない。だから八百屋さんで野菜をを買ってもどんな農薬がどれほど使われているのかわからない。知らないまま食べていて癌に犯されるケースもあると思われる。「使用農薬の義務づけ」の件に関しては微力ながら消費者庁に提言したところである。
消費者庁のホームページ
生命覚者の仏は正食
人間は万物生命とともに生きて来た。すべての物を生命と観るのが伝統の仏教である。古来、インド、中国、日本に伝わる仏教は生命を余す所なく説いた教えである。インド応誕の仏であった釈尊(釈迦族の尊者)は、仏教の一切を説いたが、なかんずく法華経で「妙法蓮華経」の生命法則を明かした。法華経の前の42年間の爾前経(念仏•真言•禅•律等)は「方便権教」「42年未見真実」として捨てさせた。それ故、真実の生命法は法華経の中にのみ明かされている。生命の何たるかを悟った釈尊は、生命の木の実や植物食しか食べなかった。
中国(唐)に天台大師、日本(平安)に伝教大師があらわれて像法の法華経が説かれた。天台大師は釈尊の法華経を理の一念三千摩訶止観に結し、伝教大師は天台法華経を円頓の戒壇(比叡山)に献じた。仏道に於いては法華経の生命悟達による精進料理である。
日本(鎌倉)の本地地湧の日蓮仏は、「南無妙法蓮華経」の御本尊とあらわれて生命の究竟の法則を説いた。末法万年尽未来歳の法華経である。日蓮仏の食事は陸の草•海の草の草食であった。
迷いの凡夫は邪食
三世生命の実相を知らない迷いの凡夫の食べるものは邪食である。何を食べたら善いかわからない。わたしも長い間邪食を食べて来た。終戦後の食糧難の時にも農家であったので白米とか薩摩芋はよく食べていた記憶がある。小学校低学年のころだったと思うが白砂糖をお玉杓子で焼いてカラメルをつくって妹と一緒に食べた。後、父がニワトリを殺して食卓に挙げた。一つの鍋を囲んで家族全員で取り合って食べた。わたしは父がニワトリを殺す凄惨な場面を見ていた。首を落とされたニワトリが数メートルも走って行って倒れた。可哀相とは思ったが、それでも煮えた鶏肉を平気で食べていた。邪食である。多分中学生のころ、飼っていた牛を父が殺して食べた。冷蔵庫がなかったので腐ってしまう食べきれないので隣近所にも分けた。その時も殺す場面を見ていた。父が刀を牛の右首筋へ斬りつけた。牛は暴れて父の脇腹を角で突いた。父は多分怪我をしていたと思う。それから、どうやって切り捌いたのかはとんと覚えていない。とにかく暫くは牛肉が食卓に上っていたのは記憶がある。そんな悲惨な場面を見たからといって肉食を止めたわけではない。わたしは上京した23歳頃、神経質な性質で野菜を洗って料理するのが面倒で、手っ取り早く牛肉を買ってきてフライパンでジュージュー焼いて白米ご飯に乗せて食べていた。生肉も食べていた。
日蓮仏法に縁したのは24歳の秋である。寺院(後で日蓮正宗法道院と判明)で御受戒を受けたとはいえ安アパートを探しに行った不動産さんで会合に誘われ無理矢理入るはめになってしまったので信心をまじめにする積もりはなかった。それから丁度2年後の秋、わたしは腎臓脚気、蛋白尿+3で悩んでいた。板橋日大病院へ通っていたがなかなか治らない。そんなとき、職業美術研究所への道を尋ねたのが縁で山本さんの折伏を受け創価学会の座談会へ参加してから信心をまじめにやる決心がついた。中森地区部長が我がアパートへ御本尊送りにきたとき謗法払いで「何か拝む対境は持ってないか」と言ったとき、ハッと気づいてバックの中をさがしたら2年前法道院で受けた御本尊がでてきた。新しく常在寺(確か)で受けた御本尊は返却した。そのような頭破作七分ぎみの時代、わたしは何を食べていたのか全く覚えていない。すべて外食だった事だけは言える。
大酒飲みの報い
若い時は酒が強かった。中学二年の正月父が屠蘇の酒を戯れにコップに1杯注いでくれた。それを飲み干してケロッとしていると、2杯目を注いだのでそれも一気に飲み干した。コップ1杯で茹で蛸のように真っ赤っかになる父は目を丸くして驚いていた。高校を卒業して1回目の同窓会が富浦(南房総市)の旅館で午後3時から9時までの長丁場で開かれた。初めての酒宴であった。わたしはコップ酒で注がれれば断りもなく飲み続けた。10杯くらい飲んだら浮かれて歌がでた。しかし、手洗いに行ってしばらくすると酔いが醒めてしらふになって歌もでなくなった。友人はそれぞれに酔っているようだ。またコップ酒を相当に飲んだら楽しくなった。お手洗いに行くと醒めたので又飲んだ、延々と6時間である。9時のお開きになるころ、吉田が「まだ顔に出ていない、もっと飲めよ」と言ってくれたので、残っていた酒をどんぶりで3杯あおった。以後これが語り種となった。富浦駅前で皆とラーメン1杯を食べ、勝山駅で仲間と別れ、駅から佐久間川沿いの道を15分ほど歩いて我が家へ帰った。翌朝、目覚めるとなんかおかしい。気がつくと牛小屋でベーベッコ(子牛)と仲良く一緒に寝ていたのである。新調の洋服は糞だらけだった。
22歳で上京しても酒はたまにしか飲まないが飲みだすと大酒だった。記憶では、池袋西口に産業道路飲み屋街があった。其処で夜8時ごろから夜明けまで8軒の梯子酒をした事をおぼえている。そんな深酒で腎臓を壊したのだと思うが、28歳頃より痛風の病が出だしたのである。
直腸癌
タバコは高卒とともに吸い始め、36歳頃まではヘビースモウカーだった。1日20本以上吸っていたと思う。上京してしばらくは自炊したこともあったが、24歳からはめちゃくちゃな外食であった。その無謀な食事の結果だと思われるが、36歳に直腸癌になった。
昭和49年夏のこと下血があった。はじめはスイカの食べ過ぎかと思った。しかし、よくみると血であった。近くの坂本病院へいくと先生が、よくわからないからといって、築地の癌センターを紹介してくれた。癌センターでは、バリウムを飲んでの撮影、内視鏡検査などした結果「直腸がん」という診断だった。「人工肛門をつけよう」という先生に逆らって「どういう風に」というと「鼠蹊部中程から排便する」という。「漏れないのか」と聞くと「栓をしっかりするから大丈夫」という。「考えさせて」といって帰ってきた。さあ、それからがパニックだった。公園のブランコに揺られて色々なシナリオを考えた。これで人生終わりかと考えると無性にさみしくなった。いっそのこと手術を受けようか。そのとき思い出した。10年前日蓮正宗創価学会へ入信して、初信の功徳で腎臓脚気が治っていた事を。信仰は薄くなっていた。もう一度、初心にかえって信仰をやり直そうと決意した。御本尊に向かって2時間、3時間と唱題していると種々知恵がわいてきた。タバコを止めた。酒も飲まなくなった。高島屋へ行ってセブという圧力鍋を買ってきて玄米を炊いた。近所にあった自然食の店で無農薬野菜を買ってきて料理した。日蓮聖人を信じて、信行学の信心を徹底し玄米菜食をしていたら、いつの間にか下血はなくなり体調が良くなって直腸がんは治っていた。
癌の再発
平成10年9月ごろ下血があった。今度は血が少し黒ずんでいるから下行結腸がんかも知れないと思った。このときは検診には行かなかった。また信仰と玄米菜食で治そうと決意した。平成元年に悦子と結婚してから玄米菜食主義がゆるくなっていた。妻は、連れ子の長男と長女の2人には先に白米肉食の食事を作り、その後で私と次女(我が子)と自分の3人分の玄米菜食の食事を作った。最初はそれがよかったが、だんだん重荷に感じるようになった。早稲田の治療院を終えて夜9時に田端に帰宅するとそれから食事をつくる。11時頃夕食を終える。夕食が夜食時になってはいけないと、だんだん外食するようになった。昼も夜も外食になった。信仰も薄くなっていた。平成10年11月、ライフカイロプラクティックセンターを閉鎖した。妻が代わりに整体師で働いてくれた。私は家で闘病生活に入った。その頃は国分寺に住んでいた。私は小学校低学年の娘のめんどうを見ながら玄米菜食の食事をつくった。日蓮仏法の信仰も真剣にやった。その甲斐があって平成12年夏には体調が回復し癌が治ったのである。
仏の正食を実践する
長い間迷いの生命であったが72歳になって目が覚めた。今現在は完全に邪食を去って正食に帰した。世の中に美味邪食が溢れていても惑わされて食べようとは思わなくなった。
魔食
魔食とは何か?
魔食とは肉を喰らうことだと思う。魔とは生命を害するものである。
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