
2010-03-05
肺がん
平成元年の真夏のことでした。50歳の美しい女性が田端に移ってまだ5ヶ月の整体正木治療室へやってきました。問診すると子宮がんの摘出手術をしたら肺がんに転移して、いま駒込病院に通院しているとのことでした。
僕はといえば昭和63年5月南池袋の昭栄ビルに初めて「整体術センター」を開業しましたが整体師の女房と同年7月に結婚して、平成元年3月から田端の矢田橋交差点角に移転したばかりの新米でした。
その当時は椎間板ヘルニアの患者さんが来たら増々痛くして返すような薮整体師でしたから、肺がんなどという恐ろしい病気の患者さんが来ることは思っても見ないことでした。
それが場所が災いして肺がん患者が来てしまったのです。JR田端駅から駒込病院行きのバスの窓からよく見える所に当院の看板がかかっていたのです。しまったと思ったのですが後の祭りでした。
当時はまだ五十嵐整体術しか知らずそれも骨格検査もしないでむやみにボキボキと関節音を鳴らして骨を動かしたり経絡つぼを圧擦したりするだけのマニピュレーションとでしたから、持続する骨格矯正などができるはずもなく病気の治療は絶対無理というものでした。
ですから、僕が昭和49年に患った直腸がんを日蓮聖人信仰を中心に飲酒と喫煙を止めて自然食(玄米•菜食)だけで医者の治療を受けずに治した体験談を聞かせてあげることで精一杯でした。
それでも何とかならないかと思いながら患者さんがとても喜ぶので経絡つぼの圧擦マニピュレーションをサービスで延長して40分のところを60分くらいやってあげていました。
10回くらい来られた時でしたでしょうか「駒込病院に入院することになりました」と言われて帰ったきりになりました。
その後一度女房と二人で「プロポリス」の小ビンを土産に持って駒込病院の病室にお見舞いに行きましたがその時は至って元気に笑って話していました。
秋も深まり何か予感がしたので電話してみたらご主人が出て「女房は亡くなりました」と言われました。
糖尿病
あれは平成4年のことです。真夏の暑い盛り、還暦前の一人の男性が僕の田端の治療院にやって来ました。聞けば「辻内科医院」の先生から紹介されて来たとのことです。辻先生には面識がありませんでした。3年半も通って悪化するばかりで「インシュリンを35単位毎日注射している」とのことでした。愚痴ばかり言うのでどうやら辻先生の厄介払いの紹介のようでした。問診すると真夏なのに「足が氷のように冷える」と訴えます。どうやらソルビトールが神経にまで入っているようです。歩くのがやっとなので400mの道のりを休み休み来た言います。血糖値は食前で480、食後は630だと言いました。
1回目の治療を終えて帰って行きましたが、それっきり来られませんでした。一ヶ月位たってから奥様から「出張治療に来てほしい」と電話がありました。なんで今頃と思いながら「どうされましたか」と聞いてみると「やっぱり先生の治療が良かったので来てほしいと本人が言っています」と言いました。
当時はAOTというテクニックを使っていましたが、ソフトすぎて信用されていなかった節があるのです。
「僕は忙しいのですぐには行けません」というと「具合が悪いので奥様でも良いからすぐにきてほしい」と言いました。そこで整体師の女房に行ってもらいました。
3時間くらいしたら女房から電話がかかって来ました。「大変です。立てなくなってしまいました!」と声がうわずっています。「どうしたのですか」と聞くと「2時間足を揉んだらトイレにも行けなくなって、どうしましょう」と動揺している様子です。「足の神経が糖質にやられて筋肉が麻痺しているのに2時間も揉むなんて、、、立てなくなるのは当たり前ですよ。でも一過性ですから数時間安静にしていれば回復しますからその点よく説明してあげなさい」というと安心した声に変わりました。
それから毎週の出張治療がはじまりました。頭からクビにかけての歪みはかなりのものでした。1ヶ月半すぎると血糖値は食前で180と下がりました。辻先生がインシュリン注射量を少しずつ減らして行きました。
出張治療19回、5ヶ月で血糖値は正常になりました。
仕事に復帰した元気な彼の姿を田端駅付近で見かけた時「先生!腰が少し痛くなりましたので、またその内に伺います」と彼は言いました。しかし、その後腰痛は治ったらしくて来られませんでした。
