直腸癌体験 of 日蓮仏法

直腸癌  

わたしの体験

DSCN2158.JPG 昭和49年夏のこと下血があった。はじめはスイカの食べ過ぎかと思った。しかし、よくみると血であった。近くの坂本病院へいくと先生が、よくわからないからといって、築地の癌センターを紹介してくれた。癌センターでは、バリウムを飲んでの撮影、内視鏡検査などした結果「直腸がん」という診断だった。「人工肛門をつけよう」という先生に逆らって「どういう風に」というと「鼠蹊部中程から排便する」という。「漏れないのか」と聞くと「栓をしっかりするから大丈夫」という。「考えさせて」といって帰ってきた。さあ、それからがパニックだった。公園のブランコに揺られて色々なシナリオを考えた。これで人生終わりかと考えると無性にさみしくなった。いっそのこと手術を受けようか。そのとき思い出した。10年前日蓮正宗創価学会へ入信して、初信の功徳で腎臓脚気が治っていた事を。信仰は薄くなっていた。もう一度、初心にかえって信仰をやり直そうと決意した。御本尊に向かって2時間、3時間と唱題していると種々知恵がわいてきた。タバコを止めた。酒も飲まなくなった。高島屋へ行ってセブという圧力鍋を買ってきて玄米を炊いた。近所にあった自然食の店で無農薬野菜を買ってきて料理した。
 日蓮聖人を信じて、信行学の信心を徹底し玄米菜食をしていたら、いつの間にか下血はなくなり体調が良くなって直腸がんは治っていた。

癌の再発

DSCN2149.JPG 平成10年9月ごろ下血があった。今度は血が少し黒ずんでいるから下行結腸がんかも知れないと思った。このときは検診には行かなかった。また信仰と玄米菜食で治そうと決意した。平成元年に悦子と結婚してから玄米菜食主義がゆるくなっていた。妻は、連れ子の長男と長女の2人には先に白米肉食の食事を作り、その後で私と次女と自分の3人分の玄米菜食の食事を作った。最初はそれがよかったが、だんだん重荷に感じるようになった。早稲田の治療院を終えて夜9時に田端に帰宅するとそれから食事をつくる。11時頃夕食を終える。夕食が夜食時になってはいけないと、だんだん外食するようになった。昼も夜も外食になった。信仰も薄くなっていた。
 平成10年11月、ライフカイロプラクティックセンターを閉鎖した。妻が代わりに整体師で働いてくれた。私は家で闘病生活に入った。その頃は国分寺に住んでいた。私は小学校低学年の娘のめんどうを見ながら玄米菜食の食事をつくった。日蓮仏法の信仰も真剣にやった。その甲斐があって平成12年夏には体調が回復し癌が治ったのである。




日蓮直宗

 日蓮聖人の仏法を奉じて、不幸な宿命を幸福な宿命に転換するための、正しい信心を志向しています。

はじめに

このホームページは、毎日少しずつ書き加え、誤謬を訂正してまいります。いつまでも未完成であり、いつなんどき編集で変更を加えるかも知れません。それは筆者の無明の致すところ、お許し願いたいと存じます。